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転職先で現場や関係者から信頼されて、ヤリガイある仕事やポジションを任されていく。

 本部に配属されて全社業務を統括する仕事に就きながら、システム管理も兼務する。システム以外の本部業務の膨大さに戸惑いながら、全社システムを汎用機からパソコンに移行させる1年間。様々な部署の担当者の話を聞きながら開発を進めて、外部技術者にも丁寧に依頼して制作ロスを防ぐよう心がける。各校を回っては初めて導入されるパソコンも自ら設置した。
 各校からはパソコンの基本操作も含めて質問の電話が自分一人に殺到して、よく深夜まで対応に追われた。それでも要望にじっくりと耳を傾けて、イライラした様子の人にも丁寧に説明する。口々に「何でも話を聞いてくれる人でよかった」と言われるようになって、各校へ作業に出向くと飲みに誘われることもあった。
 同時に、現場の声をもとに本部の経理部門や営業部門、人事などの様々な責任者と話し合いながら、システムに合わせて業務自体の流れを変えていく提案も根気強く続けた。
 3年目にはパソコンでの業務連絡や情報共有を目的としたイントラネットの導入に携わる。既に100台余りにもなっていたパソコンにソフト設定をして回った。やがて主任にも昇格して、しっかりした部下たちを指導しながら、次々と責任ある仕事を任されている充実感にあふれていた。
 29歳のとき起こったIT起業ブーム。出入りの技術者が独立する姿を見て「思い切ったな」と感じても、独立した前の会社の先輩たちから、一人で何もかもやる大変さや営業や計画性の重要さを聞いて、「僕には独立なんてできないな」と思っていた。
 しかし、最新の技術を駆使している独立技術者たちを見て、直接ものづくりに関われずに技術から遠ざかってしまっている自分への不安も募り出す。だが今の仕事や仲間、環境も捨てがたい…。
 迷いを抱えながら業務に励んだ2年で、しだいに40歳になって校長や管理職という技術屋でない自分が想像できなくなってくる。「今こそ今後を考えるときかな…」と、あてもなく31歳で退職に踏み切った。


再就職か独立かを模索した半年間。35歳を区切りに設定して、フリーの道を決断した。

 職安で求人を探してみたり、Web技術の勉強や万が一のときのためにバスの運転免許まで取得した半年間。「自分はどうなるんやろう」と不安も覚えながら、再就職か独立かを一人で考え続けた。そして、「35歳までなら仮に失敗しても、再就職の道は残される」と、フリーとしてやっていく決意をした。32歳だった。
 するとすぐに以前の会社の先輩や成基学園から「手伝って欲しい」「継続してシステム管理をやってよ」と仕事を依頼してもらえた。たとえ夜中まで作業に追われても忙しいことがありがたく、新技術に挑戦することが楽しい。ただ、技術的な相談をできる人は側にはおらず、不具合が出れば夜を徹してメールで教えてくれる人を探すことも多い。今の仕事がいつまで続くかはわからず、体調を崩せば途端に収入は途切れる。
 顧客開拓もしなければと思った矢先に、独立を決意した成基時代の後輩から連絡が入った。互いの夢やビジネス構想を語り合って、それぞれの得意分野を活かしてタッグを組むことを決めて、いよいよ二人三脚での本格的な営業が始まった。
 興味あることに集中して取り組んでスキルを高める一方で、人と関わる喜びを感じながら社会に出た。決してあせらず目の前の業務に真摯に取り組み、関わる人たちに少しでも喜んでもらいたいという姿勢が信頼につながって、独立後も勤めていた会社から仕事が舞い込み、助けてくれる仲間たちも集まってくれた。
 SOHO技術者たちの営業代行事業も始めたい。「大きな案件にも対応できるネットワークを作りたいんです」と語る目に、35歳までの決意が表れていた。

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