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音楽の世界で夢を追う人を支える道を選んで、気力も体力もすり減らしていく。 「退職してまで参加したのに…」と、その事業を引き継ぐために上司らと5人で会社を設立して、貯めていた結婚資金から100万を出資した。 パッケージを作り直して、小売してくれる嵐山などの観光地の店を開拓する。経理担当として銀行にも走り回る。自ら声を張り上げて店頭販売も行って活気ある直営店づくりを心がけ、大手との差別化を図ったりしていくと、半年後には売上が少しずつ上がって少し軌道に乗った。 2ヵ月の約束で、母に代わって以前から入退院をくり返す父の看病に専念しても、「私がいないと会社が成り立たないのよ!」と、母の制止を振り切って仕事に舞い戻った。 会社の設立と同時に、歌手になった15年来の知人と再会して、「音楽を通じて京都を盛り上げたい」と熱く語る姿に共感して、そのアーティストのマネジメントを引き受けていた。新風館などでのライブをプロデュースするなど経営との両立も目指していても、しだいに音楽活動に時間を多く取られ始めて、ついに経営仲間から決断を迫られる。迷った末に好きな音楽の世界で人を支えられる道を選んだ。28歳になっていた。 ところが安定した収入をなくして、CDの制作費や東京への宣伝活動などで貯金はすぐに底をつく。次々と要求ばかりするアーティストたち。「好きなことで収入を稼ぐのは無理。普通の子に戻れ」と言う両親とは意地になって大ゲンカをする。 夜はスナックで働き、早朝はパン屋で仕込みのアルバイトをして活動資金を稼いだ。体重が5Kgも減ってやつれた顔は青白いまま。請求書の束を見てはあせりばかりが募る。「誰も私を理解してくれない…。もうダメだ…」と、気力も切れて深夜に車を運転しながら一人で泣いた。 父の大手術で我に返る。素敵な職場の仲間たちとやりがいいっぱいの仕事に恵まれた。 そんな29歳のとき、父が大病で8度目の手術をすることになり、もう一緒に過ごせる時間はあまりないと聞かされて目が覚めた。「父のためにも普通に働こう」と、2年半余りの音楽活動に終止符を打った。 真っ先に世話になった新風館に挨拶に行くと、頑張りぶりを見ていてくれて正社員で働かないかと誘われた。挙式・披露宴や2次会の企画を立てて、飲食店や花屋などテナントの売上にも貢献する仕事。最初の半年間はそれまでの経験からくるプライドが邪魔してうまく業務をこなせない。企画も思いつかず、一人ですべてを抱え込んで時間が過ぎるばかり。 しかし、意見を求めると上司や同僚たちは忙しくても熱心に指導してくれた。「結婚は一生に一度のイベントだから」という空回りするばかりの想いも、しだいに「自分なりの気配りで喜んでもらおう」と考えられるようになった。自分より年下のカップルの案件も多くて、頼りにしてもらえるのがうれしい。新婚旅行のお土産を持ってきてくれたり、「ここで挙式できてよかった」という言葉に支えられている。 好きなことで生きる道と、そんな人を支える道に揺れ動いた10年強。振り返ると充実した時期にはいつも仲間たちがいた。「何もかも一度に叶えるのは無理」という母の言葉が身に染みる。しかし、いつも全力で頑張ったからこそその姿を誰かが見ていてくれて、この素晴らしい職場と仕事に巡り合えた。 「私の結婚式のときは泣きっぱなしでしょうね」と照れ笑いした。 辻井さんなどが出席される読者交流会を開催します。その他ご出席者など詳しい情報はこちら 物語に関するご感想などをぜひお寄せください。 |
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