| バックナンバーはこちら |
![]() ![]() |
|
懸命に勉強して29歳で看護師に。極度の緊張から先輩の中にうまく溶け込めない。 援助を受けた年数だけ勤務すれば返済が免除される病院の奨学金制度などで学費はまかなえる。地域とのつながりを大切にした保健・医療・福祉活動を展開する京都南病院の援助を受けた。10代がほとんどの同級生たちに混じって勉強に励む一方で、聴覚障害者と健聴者が共に活動する劇団「あしたの会」にも出会って、手話に魅了されて参加した。 卒業学年の3年目には10年ぶりに演劇活動も休止して、毎月50〜60ページのレポートを仕上げ、こみ上げる不安を打ち消すように睡眠を削って勉強した国家試験にも合格する。 もう29歳。「いよいよ社会人としての本格スタートだ」と気合いは入るが、看護学校時代に出会った妻と結婚した責任感から極度の緊張に襲われた。「同じことを聞かないで」と、プライドを持って働く年下の先輩に言われて体を小さくして、女性だけの狭い人間関係にもなじめず、備品の配置や勤務の組み方などを気楽に提案できないように感じてしまう。 看護の要領がなかなか掴めないだけでなく、体力を消耗する夜勤、医師の支援や家族への対応、患者の無断離院などの予期せぬ出来事に直面して毎日休憩も取れない。年配患者の自立に向けて根気強く付き合う必要がある排泄介助もままならない。 「学費を負担してくれた病院を簡単には辞められないし、妻にも心配をかけたくない…」。それでも、クリスマスや正月には、入院患者に少しでもくつろいでもらおうと、少し手が空く夜中に一人で病室を飾った。しかし、「あしたの会」の稽古で出会うメンバーが仕事と両立する姿に励まされても、学習会に参加して自信をつけても、一人眠れない夜が続く。婦長の勧めで睡眠薬に頼ることもあった。 自分らしく働くために異動願を提出。職場の中でも調整役を目指していきたい。 病棟に届いた聴覚障害の患者からの「気持ちを伝えにくかった」というハガキが目に留まった。それを看護部長に話すと意見が合って手話サークルを立ち上げて、別の機会には演劇を通じて接客マナーの向上を図る「院内劇」までも誕生させて自信が芽生えてくる。それらが様々な病院関係者との交流を生んで、少しずつ気持ちにゆとりができていった。 しかし、看護師不足が蔓延している民間病院。「もっと一人ひとりの患者と向き合える環境の方が俺に合っている」という思いも募る。悩んだ末に決心して、夕日の差し込む看護部長室を訪れた。「介護施設へ異動したいんです…」。後輩指導などの役割がますます増えた1年を乗り越えたときに、その希望を叶えてもらえた。 「ぬくもりの里」は地域住民の署名活動によってできた、高齢者のリハビリや自宅復帰を目的とした訓練施設。ここでも立ち上げた手話サークルを十数回も開催して、もう4回を数える「院内劇」や脳卒中患者の健康管理教室、家族会など多くの役割を務める。利用者とジックリ向き合うことができて、ようやく自分らしく働いていけると自信が湧いてきた。 広い視野を持ちたくて複数のことに取り組んできた学生時代。両親が厳しくしつけてくれたからこそ、多くの年長者たちがいつも気にかけてくれた。そして、演劇を長く続けるために26歳から入った看護の世界で、病院に自ら働きかけて望む働き方を掴んできた。これからは病院で医師や看護師の調整役にもなって、もっと多くの人から喜ばれる人間でいたい。 中学校時代の友人の親のように、幅広い会話が楽しめる家庭を作りたい。「演劇と自分らしく働ける仕事の両立を実現できて、少しは家庭づくりにも自信ができました」。盛況に終わった「あしたの会」初の関東公演の手応えをかみ締めながら語ってくれた。 物語に関するご感想などをぜひお寄せください。 |
|
ページ: 1
| 2
|