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腱鞘炎を患ってくじけそうになる毎日を何とか乗り越え、京都に舞い戻った。

 木工作業漬けの生活。毎朝8時から3人で共同作業。男性と同じように重いものも運ぶ。「これじゃ商品にならん」と作り直しの指示が何度も飛ぶ。時間内に終わらなければ夜間や週1の休日も返上。必要な工具を使わずに、見た目も強度もほとんど問題なく仕上げたつもりが、「いい加減なやり方をするな」と怒鳴られる。仕事としての家具作りの厳しさを実感しながら学び続けた。
 大学の課題のように1人でじっくり取り組めず、自分のミスで仲間にも迷惑がかかる。チームワークの重要性を感じながら5カ月目に入ったころ、右手に痛みが走り、腱鞘炎と診断された。2度の手術をしても完治しない。ひざにも激痛が襲って救急車に運び込まれる。「学べるのは2年間しかないのに…」。仲間に遅れをとっているあせりといらだちが増す。
 週2のアルバイトでは生活費をまかなえず、しだいに貯金も減っていく。「京都に帰ろうかな」と姉に電話で弱音を漏らすと、「何のために周りが協力していると思ってるの!」と叱られて我に返った。「家族や親戚のためにも早く結果を出そう」。サポーターをした手で、痛みを必死でこらえながら残る1年半の実習に励んだ。
 卒業後は高山に残って工房を作ろうとも仲間と話していた。京都へ帰省したときに、精華大の恩師を訪ねて仕事を探している旨の置手紙をすると、卒業直前になって「非常勤講師にならないか」と誘われた。人に教える不安は大きかったがまたとないチャンス。京都に残した母も心配だった。講師業と個人の制作活動を両立する道を選ぶ。今まで支えてくれた家族や親戚のためにも「これから頑張って結果を出さなければ」。京都へ戻る車の中で覚悟を決めた。


まだまだ不安定な収入。顧客の喜ぶ声に支えられて高まる自活への希望。

 週1日3コマの授業だけでなく、実習室で機械を扱う学生の立ち会いもあってほぼ毎日大学に通わなければならない。知り合いの店から小物を作る仕事も入るが、自分のデザインを商品化する余裕がない1年間が続く。「いったい何やっているんだろう」。安定収入を捨ててまで目指した家具デザインに近づかない不安。
 講師業だけでは生活していけず、翌年からは本格的に制作活動も始めても簡単には売れていかない。コンペや展示会への出品のほか、インターネットで作品を展示できる店を探したり、出展物をギャラリーに常置させてもらうなど営業にも力を入れる。1カ月間休む暇もなく作業することがあれば、制作活動の収入がゼロの月もある。仕事が空いてしまうと「来月どうやって生活しよう」と不安に襲われる。衣類を買う余裕もほとんどなく、食費も徹底的に倹約する。
 だが制作は感情表現の手段。納得いくものをじっくり作りたい。「この商品は私みたい」とある女性から言われたとき、使い手の気持ちを考えて作った意図を理解してもらえたように思って感激した。
 今でも手の痛みは取れず、体力的な辛さも重なって、普通の就職をしたくなることもある。パッケージデザイナーの弟は仕事の厳しさを知るだけに「もう結婚したら?」とハッパをかけてくる。結婚した姉を見ると頼れる存在がいる生活もいいなとも思う。しかし、多くの人の支えもあってやっと自分の好きな道で自活していく希望が見えてきたばかり。
 「好きだから」だけでなく、決して悔いを残す人生を送りたくない強い想いこそが、くじけそうな気持ちを何度も乗り越えさせてくれた。5年後に自分の工房をもつのが目標。「制作活動だけで生活していける自信ができたときには、結婚を考えることがあるかも」と笑った。


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