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新たな夢へ進み始めた矢先に妊娠したことがわかる。結婚生活は思わぬ方向へ。 「この会社にいても何も変わらないし、何か違うことを始めたい」。25歳のとき、そう考えて会社を退職しようとしたが、上司からの勧めでパートとして働き始めた。「フードコーディネーター」という資格が気になって、夜はイタリア料理店でのアルバイトも始めた。 26歳で、ある男性と交際を始めた。自然と「自分の夢よりも、彼との将来を大切にしたい」と感じられた。つき合って半年後、彼が以前からあこがれていた沖縄へ旅立った直後、妊娠が発覚。 「家族は一緒に暮らすのがごく普通のこと」。今までの家族との暮らしのなかで培われた思い。迷うことなく沖縄へ向かった。結婚式に駆けつけてくれた高校時代の友人が、帰っていく後ろ姿を見送ると、「しばらくは会えないな…」と寂しさがこみ上げた。 出産後から夫とのいさかいが増え始める。夫は自分が育った家庭の形を強く望み、家事・育児をすべて1人で背負わされた。慣れない土地で相談する人も限られるなか、子どもの面倒をみながら、夫が帰宅するまでに食事と風呂の支度を完璧に整える。家計のやりくりや食事の味つけについて頻繁に注意を受けた。夫の顔色をうかがって生活する日々。時折、高校時代の友人からかけてきてくれる電話が何よりもありがたかった。 「子どもが物心ついてからこんな姿は見せられない…」。夫も、何も言い返してこない妻にいらだちを隠せない。夫婦間での会話はほとんどなくなり、夫が家を空ける回数も増えてくる。自分の望みとはほど遠い家庭になってしまっていた。 息子との生活のためだけでなく、職場の同僚と楽しく働いていきたい。 どちらからともなく離婚へ向けて話し合いを始めた。今の生活から早く抜け出したくて、養育費がもらえないことを承知で子どもだけを引き取った。1年3カ月での離婚。夫に空港へ送ってもらう途中、窓の外には真夏の沖縄の澄みきった青空が見えた。「やっと住み慣れた京都に帰れる。これからは息子のために、毎日を笑って過ごそう」。そう思った。 母と息子と3人での生活。息子を保育園へ預けて、その時間内でできる仕事を探した。3カ月後には同志社生活協同組合の旅行カウンターでパートとして働き始めた。同僚は同年代の人や母としての経験豊富な人たち。働き始めたころは子どもが体調を崩して早退することも多かったが、快く理解してもらえた。接客などの仕事自体も大学時代のアルバイトと同じように楽しむことができている。 母と協力して家事をこなしながら、保育園の送り迎えなどの子どもの面倒をみる。週1回の休日にはできる限り息子と外へ出かけて親子の時間を大切にする。父親がいないせいか、息子は大人の男性に対して特に興味を示す。そんな姿を見ると、申し訳なくてときには一人で泣いた夜もあった。 働くことが、自分のやりたいことをするためではなく、子どもとの生活を支えるものとなった。それでも、せっかく働くなら同じ職場の人々と楽しく精一杯働きたい。その充実感は、現在もつき合いが続く高校の軟式テニス部での仲間との交流で強く感じていた。 幼いころから信じきっていた「自分がやりたいこと」以上に「大切にしたいこと」に27歳で気づけた。母が「子どもは自分の思うようには育たないけれど、自分のようには育つ」と以前に言ったことがあった。自分のイキイキと働く姿をみて子どもには育ってほしい。シングルマザーであることの負い目をできるだけぬぐってあげたい。この先、父親となってくれる人が現れてもそうでなくても、幸せな家庭に育ったという実感を持ってくれることを願っている。 物語に関するご感想などをぜひお寄せください。 |
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