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自分の想いを会社に伝えて、少しずつ手応えを感じ始めた27歳に商品企画職に。

 「思っていることを伝えればいいんだ…」。そして、会社からの期待に応えるためにも、更に「専門学校に通いたい」と、思い切って相談するとまた許可される。学校のない日に深夜まで残業して仕事をかたづけて、週に2日を夕方から大阪に通った。学校では友人も作らず勉強に集中した。
 同じアシスタント業務でも、前の職場での経験や学校で学んだ専門知識が役立って、部署全体の業務を任されるようになる。初めて少しずつ手応えや自信を感じ始めていた。 そんな27歳のときに、付き合っていた彼との家庭観の違いが明らかになって、大学からの長い交際にピリオドが打たれた。時を同じくして、念願の家具などの企画を任されるポジションに就いた。
 リーダーの指導のままに単純に企画した商品は売れ行きがパッとしない。「もっと自分の想いを入れていいんだ」と思い直して、膨大な消費者データを分析し、靴のかかとをすり減らして街中を歩いて立てた企画案はボツの山。それでも案を出し続ける。
 年5回のカタログ発行に合わせて、撮影の立会いなどに飛び回って目前の号の原稿を完成させながら、同時に次号のプランニングをする。数百万部発行のカタログで価格表示を間違えて大きな損失を出したり、中国の協力工場に依頼した試作品は思ったものが仕上がらずに指示の難しさも痛感する。
 しかし、毎号の売上が明確に示される責任の重さを感じながらも、読者が商品を買ってくださる喜びを感じて楽しくてしかたなかった。


自ら掴んだ働き方の楽しさに、会社の業務悪化や企画を生む苦しみも吹っ飛んだ。

 1999年には会社の業績が悪化して、賞与もほとんどなくなって経費も徹底的に削減される。早期退職制度で全社的に若返りが図られ、企画会議には役員が出席して商品企画の吟味がさらに厳しくなる。しかし、危機を脱出しようという強い情熱を感じてめげずに業務に取り組んだ。
 同世代の企画担当が集められて、若者ターゲットのインテリア特集も組まれる。東京で足が棒になるまで歩いて市場調査をして、みんなで深夜まで意見をぶつけ合う日々。倉庫での商品組立や搬出作業も当たり前のように手伝った。やがて会社は黒字に転じて、担当のソファーページも2倍以上のボリュームになった。欠陥商品のクレームに2ヵ月間も忙殺されたりしても、同期たちの励ましに支えられて何とか乗り切った。
 次々に迫る企画案提出の期限。パソコンを打つ音だけがカタカタと響く夜のオフィス。それでも一行も企画書づくりが進まなければ、家でまたパソコンのスイッチを入れて気づくと朝。会社に持ち込んで同僚に見てもらってはまた練り直す。最後は誰にも頼らず自分を信じて「エイ!」と仕上げていく。
 2年前から個人成果主義の給与体系が導入されて、企画責任者全員の成績が公表されるようになった。しかし、同世代の成果や昇進に発奮はしても、任された企画に責任を持って自分らしく働ける今が心地よい。 
 好きなことでの上達を楽しみ、いつも誰かに強く支えられてきた少女時代。社会に出てからは自分の気持ちに素直に相談して、温かな上司や同僚たちの助けで、好きな仕事や力を発揮できる環境を自ら獲得してきた。
 「手に職」ではないかもしれない。しかし、無理をして好きな道に進ませてくれた親のためにも、誰にも頼らずに生きるスキルを更につけていきたい。
 「子育てをする妹を見ると、そろそろかなとは思います…」と、成長した自分をかみ締めるように笑った。

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