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仕事上の責任感を学んだ2年間。父の入院を機に働き方を見直す。

 アルバイトを始めて半年後に、1年更新で最長3年間の契約社員になった。雑誌のデータ入力や、図書館のホームページの入力・修正を行う。「一度説明したことを何度も聞くな。それは人の時間を奪うことになるんだよ」「休憩時間に仕事をされたらほかの人が落ちつかないでしょう」。先輩に仕事の取り組み方を注意される毎日。業務を定時内で片付けられず上司に頼み込んで残業した。自分の能力不足に悩んだが、厳しい指導のなかで組織でやっていく自信が少しずつできてくる。
 通訳の勉強以外にも実務系翻訳にも興味が出てきて、図書館にある専門雑誌を読んでは知識を吸収していく。アマチュアのオーケストラや合唱団に入ってできた友人とは練習日以外でも集まって交流を楽しんだ。
 仕事と趣味、夢に向けた勉強などをバランスよく充実させていた2年間。そんなある日、高齢の父が体調を崩したことを知る。「お世話になった職場の方々に迷惑はかけられない。いつでも佐賀に帰れるように短期の仕事に就こう」と、契約期間を1年残して退職した。
 入退院をくり返す父はいつも「ちゃんと就職しろよ」と心配していた。単発の派遣やバイトでの仕事を転々としながらも、英語に関わる仕事を探しにハローワークへ出向く。しかし貿易事務や企業内翻訳の求人は経験者の募集ばかり。「だったら派遣社員が自分の生活に合っているし、父も喜んでくれるだろう」と思った。
 パソナ京都は以前からその丁寧でしっかりとした対応、スタッフへの細やかなフォローで信頼をしていた。1年が経った28歳のとき、現在の大学研究室で派遣の仕事を始めたその矢先に父が74歳で他界した。


「やりたいこと」にこだわるのではなく、「今大切なこと」を優先させたい。

 1人残された母だったが始めたばかりの今の仕事は辞められない。兄たちは自分の家族を抱えている。自分が母を京都に呼び寄せる余裕もない…。幸いなことに周りの親族が時折母の面倒を見てくれていた。ただ「私が母の面倒は見るんだ」と強く決意した。翻訳の仕事をする大学時代の友人からは「東京においでよ」と誘われる。「何かを捨てないと何も手に入らないよ」と言われるが、あこがれの仕事に就くチャンスでも、「やりたいこと」よりも「今大切にしたい母」のことを優先させようと思った。
 現在は教授や講師が授業で使う資料作成や、研究室に出入りする学生への対応などを行う。資料を前年よりもわかりやすいものにと、ほかのスタッフと相談しながら提案する。温かく適切な指導をしてくれる職場の方々に囲まれて、いつしか先を見越して計画的に仕事に取り組めるようになっていた。
 アマチュアオーケストラの事務局長補佐として、演奏会などの裏方仕事にも追われる。直前には資料作りなどの共同作業が深夜にも及ぶが、仲間と力を合わせたことが、お客さんに喜んでもらえたときは大きな手応えを感じる。そして今も可能な限り毎日10分間でも机に向かって英語を勉強する。
 苦手なことや人づき合いにドキドキしていた子ども時代。自分に自信をもてるものを探し続けて、短大時代からの10年間、アルバイトや派遣仕事でも、責任感をもって取り組み続けることの大切さを学んできた。今では大抵のことには動揺せずに対応できるようになった。
 通訳や翻訳の仕事は決してあきらめない。しかしもし結婚して子供が生まれたら子供優先の生活を送りたい。「そのときの状況に応じて働き方を変えればいいと思うんですよね」。自分が大切にしたいものをあせらずコツコツと高めていく。その手応えをかみしめるように語ってくれた。


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