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育児の合間の保育士パート。分刻みの生活でも、心からの生きがいは見出せない。

 出産2週間前に、子どもが20歳になったときに手渡す手紙を書いた。「お母さんは魅力的な大人でしたか?」。素敵な大人である母親でいたい。家計のためにただ淡々と仕事をこなして毎日を過ごしていた母の姿が脳裏をよぎっていた。
 長男誕生の幸せを満喫しながら、税金や保険などの社会のしくみもわかって視野も広がる。しかし、育児仲間を作って気晴らしはできても、孤独で自由の少ない日々に「早く社会に出たい」というあせりが募る。1年が過ぎたころに以前の保育所から復帰を望まれて、2人目の懐妊を知りながらも嬉々として働き出した。
 仕事を通じて保育の重要さを感じて資格の勉強も始めていた。パートのない時間に自宅でピアノも教えて、育児をすべて引き受けて家事もする分刻みの生活。小さな工場を拡大しようと深夜まで働く夫の帰りを待つわずかの間に毎日勉強した。食卓の上で寝てしまって、帰宅した夫に優しく起される1年半。長女の出産後すぐに、休憩時間のたびに授乳しながら試験を受けて資格を手にした。
 それでも仕事は半年契約のパートしか選べない。ピアノが弾きたくても、意見があっても、あくまでも正規職員の指示のもとに動く補佐役。子どもが病気になったりするたびに義母などに迷惑をかけてまで働くなら、もっとやりがいのある学校教師に戻りたい気持ちも強まる。夫と何度も話し合って、「子どもが小さいうちは、教師のような激務で家族がバラバラになるのは避けよう」と二人で決めた。


子どもへの約束に向けて、あせる30歳でリトミックを知り、夫も応援してくれた。

 障害児などもいる保育所のパートで育児や命の奥深さを知り、ピアノレッスンもする2年間。母と子どもが一緒に楽しめる音楽教室や育児サポートの分野などで開業できないか、とも考えるが費用面で現実味はなかった。
 いつしか30歳になっていた。「子どもへの約束が果たせるの?」とあせりが強まるなかで、ふと読んだ雑誌でリトミックと出会った。音楽に合わせて体を動かして心と体の調和と発展を促す教育法で、資格を取れば教室が開けるという。「これだ!これこそ私が探していた仕事だ!」と思った。すぐに夫に相談すると、「今しかできないからやればいいよ!」と応援してくれた。3人目の子どもをおなかに抱えて、月一回の講習に京田辺まで通い始めた。
 次女が生まれて新しいパート先も遠方になって、保育所送りをしてくれるようになった夫が、朝食を食べながら居眠りをする姿を見て心が痛むこともある。それでもいつでもお互いの夢や成長を語り合い、育児と仕事の分担を話し合ってきた。一度も顔を見ない日もあるが、週2回は話す時間を持とうと遅い帰宅を待つ。
 工場の人材育成と子育てに共通点を見出してお互いにアドバイスも交換する。夫は最大のライバルで親友。夫が大黒柱でいるからこそ私は挑戦ができる。
 今年になって保育所のパートを辞めて猛然と本格的な準備を始めて、3月にリトミックとピアノの教室を開業した。いつか仲間も募って大きな教室にしたいと夢は広がっていく。
 懸命に働く両親のおかげで手に入れた音楽の技術があるからこそ、自分の人生を目指せるありがたさを痛感する。いじめで失った自信を少しずつ克服して、いつでも精一杯半歩ずつ前に進んできた。そして、子どもに誓った約束と、「いつもありがとう」と声をかけ続けてくれる夫に支えられて、最も自分らしい明確な夢にたどり着けた。
 「いつまでも何でも話し合える友人のような家庭を作りたいんです」と、満面の笑みで語ってくれた。

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