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少しずつ力をつけて、あこがれの「監督」に近づいていく一方で不安がこみ上げてくる。

 26歳で初めてチーフに選ばれた。予算内で監督のイメージを最大限に表現するその役割は、作品そのものを左右するといっても過言ではない。若くして抜擢された自分をよく思わない一部の先輩や俳優たち。「お前ごときに何ができる!」「俺に話しかけるな!」などと罵倒されるたびに怒りを押し殺した。
 しかし、現場では信頼できるスタッフたちが協力的に動いてくれる。出演者との意思疎通やエキストラの集め方、ロケ地選びや進行の仕方など、今まで走り回って体で覚えた知識が自信へとつながる。最終日には監督がお祝いのワインをくれた。
 下働きから始めてもう7年が過ぎていた。安定収入を得ている地元の友人たちは所帯を構えて子どもたちと楽しく過ごしている。孫の顔を見たいと言う両親。専門学校の同期は20人から4人に減っている。
 「仕事がなければ工事現場のアルバイトで食いつなぎ、プライベートもないこんな生活がいつまで続くのか?」。そんな不安が時折こみ上げてくる。そのたびに、「ここで逃げ出すみたいなカッチョ悪いことできるか! 俺は好きなことをやっているんだ。もっと辛い仕事をしている人もいる!」。そう言い聞かせてあせる気持ちを落ち着かせた。
 28歳のとき、ある監督から大型映画のチーフに指名された。通常の2倍以上の予算もCGを駆使した特撮も携わったことがない。「俺が引き受けて力になれるのか?」という尻込みする気持ちを仲間の励ましが打ち消してくれる。東京まで何度も足を運んで打ち合わせを重ね、ねたむ先輩たちの視線を跳ね返すように不眠不休でいそしむ。経験したことのないストレス性の胃痛を乗り越え、撮影期間の4カ月を精一杯やり遂げた。
 監督と一緒に外国の映画祭に出席した。作品の上映後に壇上で多くの観衆に手を振る監督が偉大な人物に見えた。「悔しい。いつか俺も監督として頂点に立ちたい!」。闘志がわき上がった。


スタッフ仲間と一緒に1つの作品を作り上げていきたい。夢への挑戦はまだまだ続く。

 翌年、後輩の脚本での初メガホン。仲間が「手伝わせろ!」と次々と声をかけてくれる。スタッフの数は通常の4分の1、日数はたったの4日半。自ら照明を担ぎ、現場の一体感を高めて完成までこぎつけた。
 31歳で引き受けた長時間ドラマでは、通常ならチーフ2人のところを1人で任せてもらえたが、準備が3割しか整わないまま撮影が開始する。更にスケジュールが大幅にずれるというアクシデントに見舞われる。「このままではみんなの苦労が報われない」。誰も言い出せないなかであえて監督に脚本の見直しを直訴すると、「何でお前に言われなアカンねん、このクソ野郎!」と罵倒された。
 「今度こそホンマに辞めてやる!」。1人でホテルに閉じこもった。部屋まで大勢のスタッフ仲間が駆けつけてくれたときにふと思った。「俺は監督になりたいんじゃない、自分を高めてくれるこの仲間と一緒に映画を作りたいんだ!」。ボンヤリ感じていた思いが確信に変わり、最後までチーフを務め上げることができた。
 幼いころにあこがれた「あしたのジョー」のようにひたすらストイックに仕事に取り組んできた。「好きだから」だけじゃない。常に友人と過ごした学生時代のように、一緒に頂点を目指す仲間がいることで頑張り続けられる。夢中に突き進んだからこそそんな「大切なこと」に気づけた。
 仲間と共同制作のVシネマの撮影が始まった。Vシネマ2本という監督経験をどんどん伸ばしていきたい。「仲間と話すのは、自分たちだけで作る作品のことばかり。ただし、『制作費は宝くじで』ってことにいつもなってしまうんですけどね」。そう言って無邪気に笑った。


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