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父に頭を下げた。本当に実現したい自分の働き方を見つけて覚悟を決めた。

 自分の甘さに愕然として猛烈に世の中を勉強し始める。経済ニュースを収集し、「メタルカラーの時代」をはじめキャリア関連の本などを毎朝4時近くまで読みあさる。「勝負だ!」と心の中で叫んでいた。
 釣りの世界で有名な、あるルアー製作会社のエンジニア経営者にあこがれていた。確固たる自分の技術をもってそれで経営的に成果を上げていく。将来性のある福祉ロボットの世界でそんな働き方をしたい、大学に戻って勉強し直したい、と強く思った。
 4年目にいきなり任された資材購買の仕事。不備で突き返される発注書、毎日現場から浴びせられる「材料が足りない」という苦情。「生産が止まってしまう…」「会社がなくなってしまう…」。責任に押しつぶされて耳が聞こえなくなり、3日間眠れなかった。「自分にはもうこの仕事はできません」と上司に告げた。もう会社を辞めようと思った。
 疎遠だった父に「入学金を貸してください」と初めて頭を下げて、考えていた自分の人生設計を語った。「お金のことは心配するな」と言ってくれた。会社を辞めなければ3年間で2000万円近い収入を手にできていたはず。大切にしていた愛車を売り払い、一生独身でもしかたがないと腹を括った。
 26歳で大学に編入して教授から勧められた大学院への進学にも、心臓を患って入院していた父は後押しをしてくれた。好きな道に進んだ訳ではなかった父や母の意志を継ぎたい。我を忘れてロボット研究に没頭してイタリア留学も経験した。
 卒業を控えてあえて新卒者として50社近くにアプローチをするが29歳では相手にしてもらえない。そんなとき京都の最上インクスを知る。自分がやりたいことができるという言葉に魅かれた。礼儀正しい社員さんたちを見て、充実した教育の中で学べることも多いはずだと入社を決意した。最上インクスは「仕事を通じて人が人として成長する」を基本理念に金属プレスや精密試作加工で新機軸の戦略で躍進する企業である。


京都に見つけた理想の職場。1年の現場実務に耐えて、新規事業を任された。

 「ここでダメなら自分の人生が終わる」。そんな覚悟で縁もゆかりもない京都に移り住んだが、あえて指示されたのはネジ立てや加工屑の除去などの現場作業。人の笑顔を見ていられないほどの屈辱感を味わっていた1年後、社長はある大手メーカーの研修に参加させてくれた。そこで作った金型を持ち帰ると、「すごいな」と同僚たちが注目してくれた。
 研修報告に書いた高価なマシニングの機械の購入が認められ、2003年の10月から金属部品にプラスチックの樹脂を成形する事業を任される。いよいよあこがれの働き方に向けた本当の勝負がスタートした。この仕事を最後までやり遂げればどこでも通用する実力を実感できる。今はただの金食い虫で、利益に貢献できていない後ろめたさとの戦い。2005年には採算ベースに乗せたいと静かな闘志を燃やして、社長と意見を戦わせながら上司や同僚と試行錯誤に明け暮れる。
 技師として自分の技に誇りをもちまじめに働く父の姿にあこがれて迷いもなく進んだ技術者への道。その父を越えようという思いが、人との衝突やキャリア作りへのあせりにつながっていった。しかし目の前の仕事や人に本気でぶつかってきたからこそ、大きな痛みを感じながらも明確に自分が望む働き方を見つけ出すことができてきた。
 「何にも結果を出していない僕が物語になるんですか?」と、かつての「口だけ番長」は30年間の自分への手応えをかみしめるように語ってくれた。

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