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自分の選んだ道に手応えは得ても将来のメドは立たない。仲間たちと励まし合った。

 活動の中心は学生向けのイベントや講座の開催。たびたび講演のために全国各地にも出かけた。その合間を縫って学生スタッフたちと講座の資料やプログラムの作成、月1回発行していた情報誌の取材・編集をする。大学の非常勤講師やNPOに関する刊行物への寄稿、年末調整などの手続きなどにも忙殺される。2カ月間続けて休めないこともあった。
 休日に子ども向けのボランティアを希望する学生と、平日の昼間に人手を求める施設とのミスマッチ。初めての活動で勝手がわからず最後には逆ギレして帰ってしまう学生。進路相談に訪れる学生や本来の活動以外の相談がもち込まれても限られた時間を割いて対応した。
 年間の運営予算は700万円。そのほとんどが助成金と事業受託収入、講座の参加費。助成金申請の締め切りに間に合わせるために夜中に郵便局へ走り、日々の入金確認のために銀行に毎日通う。
 印刷会社や運送業者、事務用品会社から次々と舞い込む請求書。月1万円の電話代が払えそうにないときもあった。毎月の給料は、1Kのアパート代を払えば数万円しか残らない。
 「昼夜なく頑張ってもこの程度しか手元に残らないのか…」。いつまでこの働き方をしているんだろうか? 微妙な不安感が拭えないままの毎日。
 しかしこのサービスを喜んでくれる顧客や懸命に取り組む学生たちを見ていると、「もう自分だけの活動じゃないんだ」と思えた。同世代のほかのNPOリーダーたちと、「これでいいんだよね?」と励まし合いながら3年間を過ごした。


半年間悩んで、「組織人」を決断した。自分らしい働き方を強く再確認できた。

 28歳のとき、「きょうとNPOセンター」から一緒に働かないかと打診される。「京都市市民活動総合センター」の運営を受託することが決まり、マネジメントできるスタッフが必要だという。ボランティア活動全般を支援する施設の必要性も感じていた。
 しかし学生向けのサービスを縮小していいのかという思いはなかなか拭い切れない。「いつか自分しかできないことに集中するために、今はこの施設を成功させよう」と決断できたのは半年後だった。
 事務局次長という立場で仕事を始めて1年。ボランティアやNPOに関する情報提供や活動相談、講座の実施など、十数名の職員を指揮しながらの多忙な日々にやりがいを感じる。民間企業とさほど遜色のない給与。新しい人脈も広がりつつある。
 だが税金で運用される公共施設だけにルールや制約も多い。思いついたことをすぐに行動に移せないいらだちが募ってくることもある。組織人として「べき論」で動いている自分。同世代のNPOリーダーたちが何歩も先に進んでいる感じがする。
 しかし「もっと頑張りたい」という職員の声に、もう少し自分ができることを伝えていこうと決意した。自分も「組織人としてのノウハウ」をもっと身につけよう、と。
 「学びの20代」が終わろうとしている。「自分ができること」を自分で決めて、自分で責任を取る。小さくてもそんな手応えが欲しい。両親が望んだ「組織人」としての働き方を体験してみて、いよいよ子どものころからのあこがれの働き方がよみがえってきた。自信はある。目はまっすぐ前を向いていた。


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