「生きる意味」を見出せず、不眠症で薬に頼る日々。
働き始めてはドクターストップがかかる5年間のなかで、
カウンセリングの世界に小さな希望を見出した。
5年生から編入した小学校で自分からはなかなか友人が作れなかった。生きる意味が見出せず、短大卒業後に2年近く続けた居酒屋のアルバイトを辞めてからは、新しい職場を見つけてはドクターストップがかかってしまう5年間。カウンセリングの世界に希望をかけて、社会復帰を目指してびっくりドンキーのパートとして働き始めた。

湯浅 敦子さん 31歳 京都市在住
[株式会社元廣(伏見区)びっくりドンキー パート]

編入した学校になじめない。短大卒業までは親の敷いたレールに乗ろうと決めた。

 小4までは男の子とサッカーをしたり、暗くなるまで校庭で遊んだりする活発な女の子。牛乳を飲めない友人に「頑張れ!」と励ましていた。日が昇る前に家を出て鮮魚卸を営む両親。家族5人がそろう夕食まで塾やそろばん、絵画など習い事に通う毎日。ハッキリとした答えが出る算数が好きだった。
 4年のときから両親に勧められるままに有名塾に通い、5年で短大附属小学校に編入すると、親友3人との交換日記は終わってしまった。周りの人に無関心に見える新しい学校の雰囲気になじめず、1人日記を書いては、太宰治や芥川龍之介の本を読むようになっていった。
 中学では友人と話すときは聞き役に徹して「聞き上手だね」と何人かにほめられた。しかしカメラを向けられると、1人横を向いているか仲間から離れて立っている。
 両親は「この子はロシア文学に進んだあの親類の血を引いて変わっている」と言う。「期待に応えようとしてるのに…」。自分の居場所を見失っていく。表向きはチェッカーズファンを装いながら尾崎豊を聴いては日記に自分の想いを書き連ねた。
 家を出ようと高1から東京の私大受験の勉強を始めても、「何のために附属に通わせたと思ってるの?」とため息交じりに問いかけられる。短大までは敷かれたレールの上で生きるしかないと自分に言い聞かせた。
 短大に入って始めた高級料亭での接客のアルバイトでは、多くのスタッフと出会って新たな世界が広がる。初めての恋もした。職場が楽しく、卒業前まで毎日のように通いつめた。
 しかし親しい友人が語学や法律などの明確な進路を決めていくなか、いくら探してもやりたいことが見つからない。「生きる意味がわからない…」。就職活動はしなかった。


孤独に陥り、不眠症が発症。バイト先で責任感強く働くが、薬の量は増えていった。

 1年間を海外旅行などで過ごすが、不眠症に悩み始める。みんな「それは疲れてないからだよ」としか思ってくれず、孤独感は深まった。姉や親友に励まされながらも、ささいなことで傷ついては風呂場で泣いていた。
 短大時代のバイト先の幹部から誘われて、ようやく居酒屋のオープニングスタッフとして働き始める。チーフとして学生バイトをまとめ、閉店後も朝まで楽しく語り明かした。1人の学生から「カウンセラーなんかも向いてるんちゃう?」と言われたことが心に残った。しかし疲労はいくらたまってもやはり眠れない。生活のリズムが乱れてフラフラになっても、チーフとしての責任感で遅刻や欠勤はしなかった。
 心療内科で薬をもらっても病状は改善せず、しだいに薬が欲しくて通院するようになっていく。働き始めて3年も経つと一緒に店を立ち上げた仲間が就職で次々と辞めていき、「私も私の頑張りを少しでも知っている人に見送られたい」と退職した。
 ホテルのティールームでバイトを始めても、知らない人ばかりの職場で陰で自分のうわさ話をされている気がして悩んだ。一度に飲む薬の量は30錠に増えていた。顔が腫れ、激ヤセしていることすら気づかない。友人に紹介された新しい医者に言われた。「薬物依存症です」。ドクターストップがかかって数カ月で退職。次のバイト先でも仕事中に倒れてしまった。働きたくても働けない。


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