|
スキルの向上だけでなく、 |
|
![]() |
人付き合いを大切にしながらコツコツと働く父を見て育った。就職したソフト会社で定年まで勤めるものだと思っていたが、将来への不安を感じて成基学園に転職。多くの関係者との会話を大切にしつつ真摯に目の前の業務に取り組むうちに、部下もできて責任ある仕事を任されていく。しかし再び新しい技術を吸収したい想いも募ってきて、31歳で退職した。 横川 佳生さん 33歳 京都市在住 ネットリンクコミュニケーション[フリーITエンジニア] |
|
人付き合いが素敵に思えた。一人で何かに没頭したり、部活などで集団活動を学んだ。 勉強は嫌いでも授業中は率先して手を挙げる目立ちたがり屋。友人たちと毎日のように山や川で遊び、役所勤めの傍ら休日に家業の農作業を黙々と行うまじめな父を手伝いながら、土いじりをするのも好きだった。 地域の行事を近所の人と助け合いながら進める父の姿を見て、幼心に「人との付き合いはいいな」と思った。友人が大勢いる地元の亀岡を離れたくなくて、父からの私立受験の勧めは断った。 中学では答えを導き出す数学の応用問題が得意で、一日3時間はファミコンにも熱中する。卓球部では朝や日曜も練習に励むと実力も上がってキャプテンに。しかし期待された団体戦での府大会進出を逃して悔し泣きをした。部員と仲よくするだけでなく、勝つ意識を高めるよう引っ張っていく難しさを学んだ。 進んだ地元高校でも卓球部に入って、練習内容や時間を自分たちで決めていくのが楽しい。一方で戦術研究に一人励み、麻雀にもハマって冷静に局面を読んで一人勝ち。将来は家の設計もしたかったが、自宅から通える大学の計算機科学科に進んだ。 役所を早期退職してコンビニの経営を始めた父を手伝った大学時代。家で疲れを見せるようにもなった父が、接客する姿は楽しそうに見えた。お客さんに小さな気配りをして喜んでもらえるのがうれしかった。 長期休暇のたびに一人旅に出るようになって、初めて出会った他の宿泊客と交わす会話に心が和む。手持ち金のない客に「帰ったら送ってくれればいいよ」と温かく声をかける旅館の女将を見て、人間同士の付き合いのありがたさをしみじみと感じた。 SEとしての仕事自体は楽しくても、先輩たちが退職していく姿に将来への不安を感じた。 就活では関西勤務を条件に会社を探して準大手ソフト開発会社に就職。最初の業務は電話会社での料金明細データを集約するオペレーター。希望の開発ではない仕事でも懸命に取り組んで、先輩たちとの交流も楽しんだ。 半年後の異動で開発に携わることになる。先輩の手伝いで初めて実際のプログラムを2日で作れと言われて、冷や汗をかきながらも2週間後にようやく完成させたときは充実感を感じた。次のメーカーの在庫管理プログラムでは、作業の遅い自分に「紙に書いて頭の中を整理するんだ」などと先輩が助言をくれて、連日23時ごろまで残業して4ヵ月をかけて何とか完成させた。 2年目になると発送用ラベル発行システムや雑誌在庫管理システムのプロジェクトに設計段階から参加させてもらえる。土日も出社して、通勤中にもプログラム言語が頭の中をグルグル回るほどの忙しさ。それでも取引先の方々との折衝が楽しく、4〜5人のメンバーとシッカリ話し合いながら10ヵ月かけて作り上げた。技術力が上がっていく手応えも感じて仕事自体が楽しかった。 しかしITブームに乗って次々と転職や独立する先輩たち。気づくと職場に30代後半以上の人がいない。定年まで勤めるものだと思っていたのに、給料も安くて将来に不安を覚えた。卒業後も交流を続けていた高校時代の非常勤教師が成基学園の経理課長に転身していて、何気なく相談すると、「うちでシステム管理をやらないか? 給料も多く出すよ」と誘われて、初めて転職を意識した。 これまでの「開発者」の立場から「ユーザー」の立場になることで、今後技術者として進んでいく上でユーザーと開発者両方の立場でシステムを考えることができて将来にも有利だと思って、25歳で退職した。 次のページヘ |
|
ページ: 1 | 2
|