25歳でパソコンインストラクターを目指し始めた。
しかし27歳で失業すると、外界から取り残されていく
恐怖心に襲われる。派遣で新しい職場に飛び込んだ。
子どものころから人の面倒を見ることが好きだった。短大では就職活動をろくにしないまま、父の紹介で入った会社で2人の後輩と楽しみながら働く。パソコンインストラクターという夢を見つけて6年で退職後は派遣で働きながら勉強を続けて、ときには専門学校などで助手を務めた。27歳で職を失うと外界から取り残されていくような気がしてしまう。

浦島 朋子さん 29歳 京都市在住
[株式会社ワコールキャリアサービス(下京区)派遣社員]

将来の夢がもてなかった。就職間近に大病を患うが、家族や友人が支えてくれた。

 自然豊かな京都市郊外で兄やその友人と基地作りやバドミントンをして走り回った。小学校では休み時間に先頭に立ってドッジボールをする。勢い余って男子にケガをさせたこともある。いじめられている下級生を助けたり、独りぼっちになっていた同級生の世話を焼いた。
 家事をテキパキとこなしながら習い事や地域活動もしていた母に、「短大を出て就職先で結婚相手を見つける」人生が幸せだと中学のころから聞かされて、将来就きたいと強く思える職業は浮かばない。行きたかった塾や私立高校進学を反対されたが不満を感じながらも従った。
 寡黙で優しい銀行員の父。「嫁になんてやらない」とまで言われてかわいがられ、毎週日曜日には2人で大阪へ買い物に出かけた。
 高校ではクラブにも入らず、父がくれた小遣いで1人の親友と毎日のように喫茶店に寄り道してから帰宅する。休日は父や兄とばかりドライブやビデオ鑑賞をした。
 受験の時期になってもダラダラ過ごしている姿を見て「勉強しなさい!」と叱る母。「何でそんなに怒るの? お兄ちゃんにはもっと優しかったのに…」。何のために頑張ればいいのかわからない。友人とささいなケンカをしただけで、「消えてしまいたい」と思うまでに落ち込んで布団をかぶって泣く夜もあった。
 大阪の短大に進学して、2時間以上の通学時間に耐えながら、親しくなった友人とばかり買い物やおしゃべりを楽しむ。専門学校への進学を反対されて就職活動もほとんどしないまま、父の紹介で着物加工業の事務職に内定をもらった。
 卒業直前に患った命にも関わりかねない大病。家族や友人の励ましに支えられて無事に完治して、「消えたい」と思わなくなった。「こんなにみんなに愛されていたんだ…」。


パソコンインストラクターになりたいと強く思った。6年勤めた会社を退職する。

 入社後は10人の同期と仕事後のおしゃべりや休日のアウトドアを楽しんだ。2年目から2人の後輩の面倒を見るうちに、上司から「3人姉妹」と呼ばれるほど打ち解けて、退社後や休日にしょっちゅうカラオケや買い物に出かけた。「納品書作成を競争しよう!」などと提案して楽しみながら仕事に取り組む。日々言葉を交わすうちに上司や社長からもかわいがられた。
 3年目には同じ作業を繰り返す毎日にマンネリを感じ始める。「今の仕事の方が楽しい!」と転職先のことをイキイキと語るかつての同僚たち。何となく転職情報誌をめくる日々のなかで異動辞令を受けたのを機に退職を考えた。しかし、「5年は勤めなさい」と母に諭されて、「他の会社で働く自信もないしもう少し頑張ろう」と思い直した。
 異動先では膨大な量の仕事を任されて、ほとんど毎日残業をするうちに体重は5キロも減った。業務内容は以前と同じでも、新しい会社に勤めたつもりで精一杯働く。1年後に前の部署から異動してきた後輩に「転職するなら今ですよ」と勧められたとき、何のスキルもない自分に気づいた。手に職をつけようとあるパソコンスクールに通い始めた。
 ワードやエクセルが少しずつ使いこなせるようになっていく充実感。講師に相談しながらスキルアップにのめり込んで、パソコン検定1級まで取得した。「こんなおもしろいことをみんなにも伝えたい! インストラクターを目指そう!」。初めてやりたいことを見つけた気がした。6年も勤めた会社を惜しまれつつも退職した。


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