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期限を決めて新卒入社した生保会社を4年で退職。 |
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「将来は自分で何かをしたい」。独立に必要な組織運営のノウハウを学ぶために、期限を決めて生命保険会社に新卒入社。3年間、飛び込み営業や外交員の管理などに取り組んで4年目に退職。あこがれていたコンサルティング営業のできる会社に出会って転職するが、顧客からは本音やプライベートな話をしてもらえず、自分で決めた目標数字が達成できない。 鶴田 裕幸さん 33歳 京都市在住 [株式会社S.R.M.(中京区) 営業] |
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会社経営をする父にあこがれて独立準備目的で、3年間の期限を決めて生保会社に。 岡山の小さな島に生まれた。父は同族会社の専務で、子ども3人を何不自由なく育ててくれた。おしゃれで金払いや人の面倒見がよく、自由に人生を楽しんでいる姿に強くあこがれた。 小学生時代は、子分を引き連れてカブト虫やクワガタを捕りに出かけた。学校のソフトボール部ではキャプテンを務め、将来はプロ野球選手になりたいと思う。中学からは本州に移り住み、野球部で4番・センターとして活躍するが、県レベルの実力のすごさを目の当たりにした。島では負ける気がしなかった短距離走でも上がいることを思い知らされた。 大学受験を考えて高校は野球部のない地域一番校へ。自分たちでソフトボール部を作ろうと、上級生にまで声を掛けて先生にかけ合うが認めてくれない。納得できない悔しさのなかで原付きバイクを乗ったり友人と草野球を楽しんだ。 家を出て視野を広めようと京都の有名私立大学に進学。ゼミの仲間と野球サークルを結成して、40人以上の部員を集めてリーグの交流戦も行った。ディスコでのバイトでは多くの友人と交流を深め、200人規模のパーティーを企画することに夢中になった。 友人と「将来は自分で何かをしたいなあ」といつも話して「早くお金持ちになりたい」と思っていた。街中のサラリーマンは疲れているように見える。社会経験を2〜3年積んでから独立しようと思い、生命保険会社では支店でも組織運営のノウハウを学べることを知って、大手外食、流通チェーンの内定を蹴って入社する。内定式で社長が「生涯賃金は3億円」と話すのを聞いて、「なんだ、頑張ってもそれだけしかもらえないのか」と思った。 人を見れば金だと思えと教わり、外交員の指導で無力感を覚えて退職する。 京都支社に配属されて個人宅への飛び込み営業をする。朝の8時から1日50件近く訪問して、インターホン越しに冷たく断られる日々。原付きバイクのガソリン代、社内のコピーも自己負担。「なかなか厳しいぞ」と思った。 3カ月後に数十回通い詰めた顧客からの初契約。「俺でも売れるんだ!」。喜びで胸がつまる。売上が給料にダイレクトに反映されるのがうれしくて営業に夢中になる。全国40人の同期のなかでトップレベルの成績を上げ、目標達成者だけが招待される国内旅行にも参加できた。 入社3年目で主任に昇格。さまざまな事情を抱えて契約した年配の外交員を指導して売上目標を達成していく仕事。腰掛けのつもりで固定給の時期が過ぎれば辞めていく人も多く、募集人員ノルマを達成するために職安の前で人に声をかける。 営業訪問先では外交員の契約確保のために顧客の状況や気持ちも考えず、一方的に保険の話をする。成績を上げて高収入を得ることが満足につながる。上司からは「人を見れば金だと思え」と教わった。 頑張る外交員の役に立ちたいと新商品の開発を提案しても耳を傾けてくれない会社、「売れない人は辞めたらいい」と名指しで人間否定する上司、目先の売上にしか興味のない外交員…。「俺じゃなくてもいいじゃないか!」と無力感に襲われた。 4年目を迎えたころ、商品の少なさから顧客の要望に応えられないことを不満に思うようになる。会社の経営危機も噂されている。同期もほとんどが辞めていた。親からは「安定した収入を捨ててどうするんだ!」と強く反対されたが、独立に向けてコツコツと貯めた資金があれば何とかなると、辞表を提出した。 次のページヘ |
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