24歳の結婚を機に、東京から京都へ移り住んだ。
転職先で重要な役割を任されても、「弱い自分」と戦って
充実感を手に入れた。そんな矢先、29歳で妊娠が発覚する。
ささいなことですぐ怒鳴る父にもめげない前向きな母を見て育った。東京の有名百貨店へ入社して、言いたいことを言えない弱い自分と戦いながら目の前の業務に取り組むなかで手応えをつかんだ。24歳で結婚と同時に母と京都へ移り住む。転職先でいきなり責任ある業務を任されても職場の人々や顧客からも逃げ出すことなく5年の月日を過ごした。

田路 幸江さん 32歳
[株式会社ジェイアール西日本伊勢丹(下京区) アシスタントセールスマネジャー]

父の顔色をうかがいながら毎日を過ごした。東京の短大で弱い自分と闘い続けた。

 名古屋で生まれ育った。愛情表現が下手で、機嫌が悪いと食事中に水をこぼすだけで怒鳴り散らす父。おびえながらの日々のなか、新聞配達などで家計を支える母は、父に殴り飛ばされても涙一つ見せず、「私が変わらなきゃ」と自分に言い聞かせている。「こんな家庭に生まれたくなかった」と訴えるといつも笑顔で慰めてくれた。
 小2のとき、年の離れた姉が結婚して、その優しい夫との仲むつまじい姿を見て、「私もいい人を見つけて温かい家庭を築くぞ」と思った。
 引っ込み思案で、小学校では数少ない友人にも自分の言いたいことを言えない。中学では友人たちの誘いを断るのが怖くて、いたずらに加担した。小6でいじめにあったとき、「お前が変わらなければ周りも変わらないよ」と言う母の言葉が心に残った。
 父に門限などで縛りつけられながら、部屋にこもって自分の気持ちをマンガに描いて気を紛らわす一方で、小学校の6年間をエレクトーン教室、中学のテニス部の練習は3年間通い続けた。
 高校では休日でも宿題に追われるなかで、「英語に関われる仕事に就きたい」と思うようになる。高2のときに憎くてしかたがなかった父が急死するとなぜか悲しくて涙が止まらなかった。
 東京の短大の英文科への進学が決まって、「親孝行をしていきたい」と迷わず母を誘って住み慣れた名古屋を2人で離れた。新しい環境のなかで「人の言いなりになってしまう弱い自分と戦おう」と心に決めた。友人に理由もなく無視をされればハッキリと主張して、モダンダンス部の仲間とうまく打ち解けられなくてもあきらめずに練習に通う。演劇サークルで出会った今の夫と交際を始めた。


あこがれの百貨店へ入社する。逃げ出すことなく業務に取り組み、京都で結婚する。

 「英語にも関われて、人に夢を与えられる」と考えて入社した東京の有名百貨店で、郊外店の婦人服売場へ配属される。しかしここでも従業員の輪の中に入れない。先輩は仕事のできない自分のことを陰で人に嘆いている。「面と向かって言ってくれたらいいのに…」。ときに泣きながら帰宅すると「辞めることは簡単よ」と言う母。同期の励ましや顧客のお礼の言葉に支えられて2年を過ごした。
 3年目に肌着売場担当になると、ある先輩に率直に叱ってもらえたことがうれしくて、わからないことを尋ねるように努めて業務が少しずつ理解できていく。顧客の求める商品を根気強く探し出し、他の百貨店にも一緒に出かけることまであった。
 仕事後に片道1時間かけて会社が委託する手話教室に1年間毎週通って資格を取得すると、「私にも人に負けないものができたんだ」と感じた。2年も経つと先輩が新入社員に対して「彼女のように笑顔でキビキビ動けるようになりなさい」と言ってくれたり、接客優秀者として表彰されて仕事のやりがいがどんどん高まっていく。
 大阪で働いていた彼は勤務先の上司との関係に悩んでいた。長距離電話でその苦しそうな声を聞くたびに「私がそばにいてこの人を幸せにしてあげたい」という思いが強くなる。同僚が事情を知ってオープンを控えたジェイアール西日本伊勢丹の求人情報を教えてくれて、すぐに応募した。迷うことなく自らプロポーズをして、24歳で結婚。母は「京都なんて素敵ね!」と知らない土地への移住を今度も喜んでくれた。


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