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20歳のとき、スキーの練習中に激突事故を起こし、
重い後遺症に悩まされる。新卒で健康器具メーカーに 就職するが、経営者の言動に不信感が募っていく。 |
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幼いころから「立派な人間」になることを期待された。高校で生物学と出会い、初めて自分がやりたい目標ができ、1日10時間以上の猛勉強で念願の国立大学に進学する。2回生のとき、スキー部での練習中に激突事故を起こし、重いむち打ち症に悩まされる。「人生論」を熱く語る社長に魅かれて健康器具メーカーに就職するが、その裏表の多い言動に、入社3年目で転職を決意した。 武市 真吾さん 29歳 京都市在住 [シーシーエス株式会社(上京区)事業開発室 主任] |
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家業の跡取りとしての期待。高校で生物学と出会い、初めてできた自分の目標。 祖父が創業した染物工場。祖母から「跡取り」として期待をかけられ、そのプレッシャーを受けた母は教育熱を高め、茶の間に顔を出すとテレビは消されてしまった。ことあるごとに他人の成功話を聞かされ、周囲の期待に応えることが自分にとって何よりも大切だと感じていた。 引っ込み思案な性格。いつも「人から見られている」という思い。親の勧めで習ったそろばんや剣道、水泳などは長続きはしない。一方で、休みになると釣りに出かけ、資金繰りなどが一息つくわずかな時間に父が楽しんでいる機械づくりを見て、時計やスピーカーなどを分解することに夢中になった。卒業文集に将来の夢は「世界に名を名乗る科学技師になること」と書いていた。 中学では塾通いの一方、自分の性格を変えたいという思いで学級委員長や陸上部の主将を懸命に務める。親に勧められるままに有名私立高校を受験したが惨敗に終わった。 高校に進むとスキー部に入り、親の目を盗んでパチンコや競馬にも熱中した。釣りの影響からか自然や生物学に強い関心をもつようになって初めて目標ができた。志望校を新潟の大学に絞って、高3からは塾に通う。「落ちたらどう言われるだろう」という恐怖感に襲われ、毎日早朝から深夜まで1日10時間以上の勉強。無事合格を果たしたときは味覚障害を起こしていた。 20歳のときのスキー事故で背負った重い後遺症。ある社長の「人生論」に酔った。 大学でもスキー部に入り、親元を離れた解放感を満喫していた20歳のとき、練習中に激突事故を起こしてしまう。頭蓋骨を開く大手術。医者から「あと2〜3時間遅かったら手遅れだったかもしれない」と言われた。親が駆けつけたときに涙がこぼれた。「遊んでばっかりしていたバツです。ごめんなさい」。2週間の入院生活。毎日の友人たちの見舞いが心の支えだった。 事故から8カ月が過ぎたころに重いむち打ちが発症する。天候不良になると激しい頭痛や身体の痛みでまっすぐ歩くことさえ困難に。年中青い顔をしてひどいときには腕や足を動かすことさえできず、一日中下宿の中で倒れ込んでいた。気分が晴れるときは年に10日ほど。 「絶対に7年間で全治させるんだ」という強い意思とは裏腹に、症状を和らげる薬を飲むたびに「長生きはできない」という思いが高まり、将来に向けての猛烈な不安に襲われる。インターネットを通じてできた同じ症状に苦しむ友人たちと、心を打ち明け、励まし合う。それをやめると症状が悪化した。そんななかで周囲と歩調を合わせるように大学院に進学する。理論の研究よりも分析装置の組み立てが楽しかった。 メカのエンジニアを希望して装置メーカーを中心に就職活動をするが、生物学専攻の自分を相手にしてくれない。ある健康器具の中堅メーカーの社長が熱く語る「人は誠実と素直さが大切」などといった人生論が、「生きること」に不安を抱えていた心に深く入り込んできた。一流企業や大企業への就職を望んでいた親の期待を感じながらも、この人の下で働きたい気持ちが強くなる。志望動機を懸命にPRして内定を獲得した。 次のページヘ |
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