|
技術者として成長できないと思いながらも転職に
踏み切れなかった2年間。「丁稚として働く覚悟が あるなら」と採用された会社で、仕事に没頭した。 |
|
![]() |
新卒で入社した金属加工メーカー。悪化する会社の業績。ボーナスも昇給もなし。休日や残業手当も支給されず、次々と会社を辞めていく仲間たちのなかで、3年間を前向きに仕事に励む。転職することへの不安をかかえたまま29歳を迎え、「丁稚として働く覚悟があるなら」と採用された転職先で、技術者としてのスタンスの違いにガク然とする。 高石 康弘さん 32歳 長岡京市在住 [株式会社ナベル(長岡京市)開発部 主任] |
|
規模の大きなものづくりにあこがれ、工場設備を手掛ける金属加工会社に就職。 幼いころ、高級紳士服の仕立てをしていた父に、パチンコや木工の玩具を作ってもらっては1人で遊んでいた。作業場で父がアイロンをかける姿をながめ、生地台紙を使って船や靴をつくることに夢中になった。小学校の卒業文集に将来の夢は、設計技師になることと書いた。 中学に進学するとサッカー部に所属。部員のほとんどが小学生のころからサッカースクールで活躍する者。実力の違いを感じながらも、自分が納得するまでは簡単に辞めたくないと、厳しい練習を3年間続けた。 高校生になると新聞の夕刊配達のアルバイトを3年間コツコツと勤めあげた。 ものづくりが好きだという理由で工学系の大学を目指すが惨敗に終わる。2浪目の1年間は予備校に通い、寝る時間を惜しんでの勉強。大阪の大学の機械工学部U部に合格を果たす。自分もヤル気になれば、1日中でも勉強ができる。自信につながった。 大学入学後、昼間は1回生のときから旅館でのアルバイトを始め、卒業まで他校の仲間たちとの交流を楽しんだ。4回生になり、スケールの大きなものづくりの仕事をしたいとメーカーを中心に就職活動をした。「若い人たちで会社を大きくしたい」と言う社長の言葉に魅かれ、工場設備の設計・据付を主体とする従業員200人のT金属製作所に内定を獲得する。 会社の業績が著しく悪化。仲間が続々と辞めていくが、何も行動に移せなかった。 入社3カ月目でいきなりの現場配属。何も教えてもらえず、すべてが手探り状態のまま、早朝から深夜まで休みなく働き続け、職人さんたちの力を借りながら5カ月後には何とか設備を稼動させた。ところが9カ月目のある日、睡眠不足から高さ3mの作業台から落下。1週間の入院生活と2カ月間の休職を余儀なくされた。会社を辞めることも考えたが、「もっと技術的なことを身につけてからでも遅くはない」と、3年間はこの会社で頑張ることを決意する。 直属の上司は、部下のことを考えてくれているようにはまったく思えない。有給休暇も取らせてもらえず、上司自身の仕事が終わらなければ夜10時になっても帰らせてくれない理不尽さ。 そんななかでも2年目からは、新事業のための図面を何百枚も描くなど目の前の仕事に全力を注いだ。仲間との仕事後の飲み会や休日の釣りにと、忙しいなかでも充実した毎日を送っていた。 入社3年目を迎えたころ、会社の業績が著しく悪化し、ボーナスも昇給もなくなる。社長はただ「世の中は不況で厳しい。頑張ってほしい」と言うだけ。休日や残業手当も支払われない。「もうこの会社あかんで!」。仲間が集まるとそんな話題が多くなり、同僚たちがしだいに退職していった。 1年後、新商品の開発部に移動。そんななかでも、「技術者として少しでもいい商品を作りたい」とチームを組み、公表されているデータが本当に有効なのか実験をくり返した。あるときチーム全員が集められ、社長から「そんな実験をしている場合か!」「はやく商品を完成させろ!」と詰め寄られた。誰もが黙りこむしかなかった。仕事への希望や情熱が完全になくなった。 従業員は80人にまで減っていた。だが、仕事をしながらすぐに次の会社が見つかるのか? 住むところはどうする? どう動いていいのかもわからない。転職への不安から行動には移せなかった。 次のページヘ |
|
ページ: 1 | 2
|