将来を描けず悶々と過ごす23歳のときの阪神大震災。
今を生きる大切さを痛感してガムシャラに働いても、
何度となくマンネリ感に押しつぶされそうになった。

父がコツコツ頑張る姿を尊敬した。幼いころから将来の自分について深く考え、思い悩み、あせりを感じ始めた23歳のときに、阪神大震災で母校の街の変わり果てた姿を見た。目の前のことに精一杯努力しなければ後悔すると痛感して、夢中に業務に取り組み始めるが、何度となくマンネリ感に押しつぶされそうになる。そのたびに家族の笑顔が脳裏をよぎった。

田 武文さん 33歳 京都市在住
[株式会社京都リビング新聞社(下京区)営業第二部主任 ]

父を尊敬しながらも、生きる意味を書物に求めていた。働く自分を思い描けなかった。

 伏見の自然の中で、4〜5人の仲間と鬼ごっこやドッジボールなどをして遊ぶ一方、毎朝早くから勉強をして、6年間剣道を続ける小学生。学級委員も務め、歴史書を読むのが好きで、休日には親や先生を史跡巡りや戦争展に連れ出し、家系図を引っ張り出しては自分のルーツを調べたりもした。
 高校を出て大手メーカーのSEとして毎晩遅くまで働くまじめな父と、家計のためにパートに出る母。日曜にゴロゴロする父を見ても、3人の子どものために頑張ってくれる姿を尊敬する。しかし両親に大学進学に向けて私立中学受験を勧められても、その目的は理解できなかった。
 公立中学に入ると、洋楽にハマってバンド仲間と音源づくりに夢中になってライブでシャウトし、剣道部で試合の緊張感を楽しむ。父の職場を見学したときに、変化の少ない仕事は自分には向かないと感じるが、社会人が登場するアニメやドラマを見ても、働く自分の姿は描けなかった。
 高校でも、生徒会長や軽音楽部長として仲間の意見を引き出しながら組織の運営や曲づくりを楽しむ。ビリヤードなど好奇心のままに多方面に視野を広げつつ、図書館で哲学書などを中心に様々なジャンルの本を読みあさっていた。
 父の勧める実学ではなく、心理学を学ぼうと神戸の大学に進み、看護助手のバイトを始める。小さな気配りで患者さんに喜んでもらえて、社会に役立っている実感を得るが、患者さんが亡くなるたびに人生のはかなさも感じる。車を乗り換えることで自己表現をしながらも、将来の自分を見出せないままの4年間を過ごした。


震災で強い無常観に襲われて、将来を思い悩む前に今を夢中に生きる大切さを痛感。

 それでも、「ブランクを作るのは嫌だ」と深くも考えずに大阪のマンション販売会社に就職。来場者へ物件を紹介したり、近隣へ営業に出向くが熱は入らない。次々と辞めていく同期が新天地で生き生きと働く話を耳にすると、将来に渡って勤め続ける自分が想像できなくなる。
 もっと自己表現ができそうなマスコミへのアプローチをするなかで、入社半年後に京都リビング新聞社から広告主を開拓する営業職で内定を得て転職する。主婦やOLに人気の生活情報紙「京都リビング」「シティリビング」などを発行するこの会社で、地元に役立てる力をつけていこうと思った。
 南部エリアを担当する社員5名の支局に配属。数日だけを先輩に同行してもらってすぐに一人立ち。自分でスケジュールを考えて、どこに売り込めばよいかもわからず、商店街の中を歩いて一軒ずつ飛び込む毎日。
 一件も広告が取れず、「また一日がムダに終わった」とあせるばかりの日々。「世間の動きを見ろ」と、上司に指摘されて初めて経済誌を読み出した。店が最も忙しいときに営業に入って怒鳴られて、広告主の電話番号を間違えたり、考案した広告で読者に誤解を与えるミスなども相次いだ。目標のために力を合わせて互いがフォローし合う職場の仲間に救われていた。
 そんな入社4ヵ月後に阪神淡路大震災が起きた。母校の大学街に駆けつけると、高速道路も行きつけの店も、5日前にも見た慣れ親しんだ何もかもが無残な姿に変わり果てている。
 「自分もいつか死ぬんだ…」と激しい無常観に襲われた。「将来のことばかり思い悩んでいて、今を精一杯生きなければ、間違いなく後悔する…」。入ってきた後輩に負けじと、新規開拓営業に突っ走っていった。
 両親と同じ24歳で、高校時代からの付き合いの彼女と結婚したのと同時にマンションを購入。先輩の交渉テクニックを必死で盗み、新規開店の目印の蘭の花を街で見つけては飛び込みガムシャラに働くと、3年目には売上目標をコンスタントに達成できるようになっていた。

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