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会社の生き残りのために急速に進む事業・組織改革。
そのなかで気づき始めた自分らしい働き方を追求する ための独立を決意したとき、やり残したことに直面した。 |
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小さな出版社に新卒入社するが8カ月で退職。京都の製版会社に転職して無我夢中で頑張って職人技を身につけていくが、うまくいかない後輩の指導に少しずつ現実から逃げた。新しい経営者の急速な改革のなかで、「癒しの空間」を演出する中国茶専門店を開業する決意を固める。会社を辞めることを決めてやり残してきたことが気にかかってきた。 清水 昇臣さん 33歳 京都市在住 [三共製版株式会社(右京区) 生産部 主任] |
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自分が好きなことをやると、いじめにあった。新しい自分に変わろうと大阪で下宿した。 母がパート先の肉屋さんで楽しそうに接客する姿を、店に座り込んで眺めていた。小さな修理工場で自動車の整備士としてコツコツ勤める父。整備した自家用車を運転している姿を「カッコいい」と思っていた。 みんなと遊ぶ一方で知らない場所に行くことが楽しくて、亀岡市の自宅から京都市内の散髪屋に1人で出かけ、ときには兄姉に電車の乗り方を教えながら滋賀まで引っ張って行く。卒業文集に将来は「銀河鉄道999」の車掌さんになりたいと書いた。 学校に定期的に訪れる楽団にあこがれて中学では吹奏楽部に入る。クラスメートから「男が音楽なんかするな」といじめられても、面倒見のよい先輩と毎日暗くなるまで練習に明け暮れた。地域の鼓笛隊にも入り学校以外の友達との交流をする。 絵を描くことが好きだったこともあって地元高校の美術科に進学。熱心な指導者がいる鼓笛隊活動だけは続けていたが、学校では3年間同じクラスという環境のなかでいじめにあって、訳もなく暴力を振るわれた。 地元を離れたい一心で、興味のあったカメラを勉強するために大阪の専門学校に進学。新しい自分をスタートさせられた喜び。教材費を捻出しながらの苦しい生活だったが、バイト先の人たちやクラスの全員と2年間を楽しんだ。街角の写真を撮るのが好きだった。 転職先で懸命に修業をすると、先輩たちの指導もあって、少しずつ技術が身についていく。 カメラマン志望で小さな出版社に入社。あこがれの業界で働けるうれしさで、出社して言い渡されたのが電話による営業でも懸命に取り組んだ。しかし1日100件の電話をして、話を聞いてくれるのは1日2件程度で受注には結びつかない。会社に貢献できていない実感がしだいに高まり、毎日をうつろに過ごすようになる。入社8カ月目に社長から「これ以上給料を払えない」と告げられて退職した。 亀岡の自宅に戻って、若い人たちが仲よく一生懸命に仕事をしている三共製版の求人広告に目が留まる。迷わず面接を受けて社長から「カメラマンとしての知識を仕事に活かせ」と言われ入社した。顧客に満足される製品を製作することをモットーに、高度な技術と豊富な設備で印刷物の原板を製作する会社だった。 スキャナーを使って写真やフィルムなどから画像データを抽出する仕事。まだバブル景気の名残で仕事量は膨大。毎日夜11時頃まで、ときには深夜2時近くまで残業が続き、休日出勤も毎週のようにあった。1年目は原稿や倍率をセットする単純作業のくり返しだったが、自分が役に立っているという充実感から、少しでも早く製版の技術を覚えたくて、時間を見つけては300ページもある解説本で勉強に明け暮れた。 2年目からは本格的な作業を任される。同じ素材でも扱う人によって微妙にでき上がりが違ってくる職人技。同じ着物の写真でも先輩がやると高級シルクのように仕上がり、自分がすると安っぽくなる。作業が終わるたびに作品を見比べては少しずつ技術を盗んでいく。「どこが違うのだろう?」。見て覚えろという職人の世界だったが、先輩たちは教えを請えば熱心に指導してくれた。3年目には雑誌の顔ともいえる表紙を任されうれしさがこみ上げる。 次のページヘ |
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