25歳で事務職として就職。経験不足を地道な努力と
多くの人とのふれあいで乗り切った。29歳で出産。
子どもと2人きりの閉ざされた生活に苦しんだ。
小学生のときに「将来は学校の先生になる」と決めたが、教員採用試験に2度失敗した。事務職員として転職。ミスや納得がいかない出来事に何度もぶつかったが、仕事や趣味など自分が楽しいと思える世界を持っていたからこそすぐに立ち直れた。そして結婚・出産を経験。子どもとの2人きりの閉ざされた産休中、どんどん孤独に陥っていった。

大橋 智美さん 31歳 向日市在住
[四条繁栄会商店街振興組合(下京区) 事務局職員]

教師になるという夢。非常勤講師としての就職先が見つかった。

 「デブで不細工な私は多分結婚できないし、どうしたら1人で生きていける?」。幼いころ、そう母に聞くと、「公務員やなぁ」と言われた。「日本は男女平等じゃない」とよく話していた母にとって、公務員は女性でも社会的に認められる職業。将来は、身近な公務員である教師になることを決めた。
 中学では生徒会副会長やバレー部のキャプテンも務めた。先生に頼み込んで合唱会のピアノ演奏を担当させてもらうなど、興味のあることには積極的に取り組んだ。
 高校の進学コースに入学。「高校はいい大学へ行くための通り道でしかない」といったクラスの雰囲気。同級生は休憩時間も惜しんで予習に励んでいる。違和感を覚えたが授業についていくことに精一杯で、他の興味があることに手を出す余裕もなく暗い日々を過ごした。
 短大の英語学科に入学。卒業後は、教職免許を取るために四年制大学へ編入した。教師以外の仕事も知っておきたくて20ものアルバイトを経験。図書館司書などの資格も取得。料理教室にも通った。
 4年生のときに受けた教員採用試験は不合格。しかし、「また来年受けたらいいや」とすぐ気持ちを切り替えた。幸運にも盲学校の英語の非常勤講師としての働き口を紹介されて、思い切って引き受けた。


1年で学校を退職する。のんびりとした会社の事務職で半年を過ごす。

 念願の教師として働き始めたが、勤務は週に6時間で、月給はたったの8万円。夏休みなどの長期休暇期間は無収入。点字の勉強や自分なりの工夫を交えて授業をする毎日は充実している。しかし夏休み明けには「自立できる給料がもらえてこそ社会人やなぁ」と感じ始めた。
 「きちんと働かないまま採用試験を受け続けるよりも、他の仕事をして何らかのキャリアを築く道もある」。2度目の教員採用試験にも失敗し、1年間の任期を終えて退職した。
 学校教育にもパソコンが導入されるという報道を耳にした。「技術を身につけておけば学校と関わるチャンスがあるかもしれない」と思い、コンピューターソフト開発会社に一般事務として就職。
 10人ののんびりした職場。事務所にあるテキストを片手に、ワードやエクセルなどを楽しみながら身につけていく。休日には友人と遊んだり、英会話、エアロビクスなどの習い事も楽しんだ。しかし、職場に常駐している従業員は3人で、来客もほとんどなく、たった1人で1日を過ごすこともある。「もっと人と接する職場へ行きたい」。半年で退職した。
 四条繁栄会の事務職員として採用されたときには25歳になっていた。転職活動中、ある大手企業の最終面接で「今まで続けてやってきたことはありますか」と質問されて、頭が真っ白になったことが強く心に残っていた。「この職場では絶対に3年は頑張ろう」。そう自分に強く言い聞かせた。
 四条通沿いの約260店舗からなる四条繁栄会商店街。それぞれの店舗がより仕事をしやすくなるように全体を活性化させるための事務局。会議の資料作成や会場手配、会報の配布、店の従業員や一般客からの苦情応対など業務は幅広い。
 初めて知った店やアーケードの装飾などに興味がわき始めると、今までは買い物をするだけの場所だった街に対する見方も変わってくる。役員会で決まったデビットカードの導入が全国初だと聞いて、自分の関わっている仕事に感動した。


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