商品先物取引の会社で5年間、営業力を鍛え抜いた。
大好きな京都に関する仕事ができる、タウン誌の会社に転職。
4年もたつと経営状況が見えてきた。
専門学校卒業後、厳しい仕事で自分を試したいと商品先物取引の会社に就職し、5年間営業のノウハウを体にたたき込んだ。大好きな京都に関する仕事をしたいとタウン誌の会社に転職。1日50〜60件の飛び込み営業で売上を伸ばして広告営業のおもしろさに夢中になる。スランプも乗り越えて余裕も生まれたが、4年目になると経営の不安定さが見えてきた。

西澤 邦広さん 32歳 京都市在住
[株式会社リーフ・パブリケーションズ(中京区)営業部チーフ]

少しでも早く自立したい。 商品先物取引の会社だけが、 自分の話を聞いてくれた。

 滋賀県の豊郷町に生まれる。幼いころから友人たちとどうやったらおもしろい遊びができるかばかりを考えていた。朝から晩まで、自然のなかを走り回り、ファミコン、ガンプラに夢中になった。
 中高一貫教育の私立中学に進学。校内に秘密の洞穴を作ってエアーガンやラジコンを持ち込んで遊んだり、カップラーメンを食べたりした。中2の春休み、交換留学生としてアメリカにホームステイをする。兄弟で取っ組み合いのケンカをしても怒らず見守るだけの親。私服で学校に通う同級生。「こんな世界があるんや!」。見るものすべてが新鮮にうつり、自由奔放な雰囲気に強いあこがれを抱いた。
 高校生になると生活指導の先生からは他の生徒と違う目で見られ、ときには体罰を受けた。そんな抑圧からか、「ボン学校!」とバカにする他校の生徒たちとケンカをくり返す日々。夜になると街をバイクで暴走した。母は学校に呼び出されるたびに白髪が増えていった。早く就職して自由になりたいと強く願った。
 「高卒で働くのは早い」と言う親の勧めで専門学校に進学。税関の試験を受けたり、貿易会社などに就職活動をするが全敗した。ある商品先物取引の会社だけが「自立したい」という自分の話を聞いてくれた。「やったらやった分だけ収入がある」という人事担当者からの説明に心がおどる。厳しい仕事だとは言われたが、「やわらかい会社」なんか入りたくない。自分を試したくて入社を決意した。
 東京本社で3カ月の研修。飛び込み営業などの訓練をくり返す。ある朝突然、「団結力強化だ!」と言われ、水1本とおにぎり1個を持たされ同期全員で40kmを歩かされた。


業績さえ確保すれば自由な職場。夢中で営業スキルを高め、将来を考えて退職した。

 大阪支店の営業部に配属。大豆・金などの先物商品に60〜100万円の投資をしてくれる顧客を獲得する仕事。タウンページを見ながら1日約300件、立ったままで電話をする。話を聞いてくれる人は1日5人あればいいほうで、新人はアポイントが取れるまでイスに座らせてはもらえなかった。
 親身になって自分の面倒をみてくれる上司。目標が達成できないときには、自分が取り引きしてもらえなかった顧客に通いつめて受注をあげてきてくれた。この人がいる限り会社を辞められないと思った。
 入社10カ月目、毎週1回、半年間も通いつめた顧客から1千万円の受注。自分を認めてもらえたうれしさで胸がいっぱいになる。会社から10万円の金一封。タグホイヤーの腕時計を買った。実績さえあげれば他には何も問わない会社。自己目標の達成に向かって全力を注いだ。
 入社3年目に副主任に昇格して新人教育を任される。入社早々に辞めていく者も多く、そのたびに俺が悪いのか?と悩んだ。追いつめられて急性の胃潰瘍になった。「自分に見返りもないのになんで部下の面倒をみなあかんねん!」。そう上司に詰め寄ると言われた。「お前も2年間、みんなのおかげで成長できたことを忘れるな!」。ようやく自分のポジションを客観的に見られるようになり、4年目には主任に昇格するなど、部下とともに精力的に業務をこなしていった。
 「辞めたいヤツは辞めたらいい」。新しく就任した支社長はみんなの前で言い放った。信頼していた上司は意見が合わず半月後に退職し、この会社で10年も20年も頑張れるのかという不安にかられた。趣味を活かしてスノボの店を経営している友人からは、「自分を活かせる仕事をしてみたらいいやん」とアドバイスを受けた。以前からあこがれていた生き方。「俺も好きなことを仕事にしたい」。悩み始めてから2カ月後、転職先も決めないまま辞表を提出した。


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