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広告づくりがしたくて5社を渡り歩くなかで出会った |
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巧妙に時代を生き抜く武将にあこがれ、「独立したい」と思いながらもやりたいことは浮かばなかった。社会へ出て広告制作の仕事を2年で辞めて、再び働き出しても魅力的な職場に出会えず1年で3社を転々とする。そんななかで社労士の仕事に強い興味を持って資格を取得した。30歳で独立するが、地道な営業活動が結果に表れずに1年で資金が底をついた。 中田 篤人さん 33歳 京都市在住 [社会保険労務士] |
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目標となる大人はいなかった。時代を巧妙に生き抜いた歴史上の人物に魅かれた。 歴史が好きで戦国武将に興味を持ち、ビートたけしの深夜ラジオを聴く小学生。授業中は答えがわかっても気恥ずかしくて手は挙げず、気心知れた友人の中の笑わせ役。しつけに厳しい母に通わされた4つの習い事の合間に自ら入った野球チームは、上達しなくてつまらなくても仲間の目を気にして卒業まで辞めなかった。 祖母との関係にただ悩んでいるだけの母を見て「僕には何もできない…」と思っていた。ついに小5のとき母が家を出ても、染織業を営む口うるさく言わない優しい父は好きだった。しかし、朝から深夜まで黙々と働く姿は疲れて見えて、後を継ぎたいとはまったく思わなかった。 小学校時代のチームメイトの目が気になって中学でも野球部に入る。肩を痛めてうまくボールを投げられなくても、先輩が怖くて辞められない。不良グループにも入らず、友人と映画やファミコンを楽しんだ。呉服業界が縮小するなかで受注が減っていっても、「値下げまでして仕事はしない」と、動こうとしない父の姿を見ていた。 高校ではクラブにも入らず、中学からの友人と麻雀三昧に過ごすなかで、友人づくりが苦手な自分に気づく。時代を巧妙に生き抜いた武将の小説に夢中になり、三国志を読破して曹操にも魅かれた。2年から予備校に通って地道に続けた受験勉強は、希望の史学部ではなくても指定校推薦を利用した経済学部に合格するとすぐに辞めた。 大学では友人を作るためにマンドリンオーケストラ部に入って技術を磨きながら、大人数で音を合わせる達成感を味わう。親しい友人とバンドを組んだり、時事問題などを皮肉った日記を見せては笑いをとった。 「いつか独立したいな」と思ってもやりたいことはわからない。軽い気持ちで文章に携われる仕事を探して、印刷会社の営業として就職するが、座学ばかりで拘束される研修に嫌気が差して1ヵ月で退職してしまって、広告制作のアルバイトを始めた。 魅力的な職場は見つからず、3社を転々とする日々のなかで「社労士」の存在を知った。 業務の大半はスーパーのチラシで、過去の広告を使い回したり単純な内容ばかり。それでも業務知識を着実に増やして社員になると、たまに舞い込む新規の広告づくりを楽しむ。しかし、もっとおもしろい広告づくりがしたくて25歳で退職した。 九州などへの一人旅は1週間で飽きて、求人誌から応募した10社以上の広告制作会社はすべて不採用。自分の経験の少なさや「地道な仕事も大切なんだ」と痛感しながら、心配する祖母を避けて自室にこもった。 読書や映画鑑賞で気を紛らわせても、将来を考えると不安で目が冴えて眠れない3ヵ月。かたくなに動こうとしなかった父の姿が蘇って、こだわりを捨てて就職活動を始めると、大阪の書籍輸入会社に雇ってもらえた。 初めての営業職は苦にならないが、リストラ後で業務に忙殺される社員や通勤時間のバカらしさに2ヵ月で退職する。次に着物販売をしてみるが腰を低くするばかりの接客が嫌で、更に次の広告制作会社では業務が少なくて暇を持て余す。仕事自体を楽しんでいない社員たちの姿が、野球部での空しさと重なってどちらも2ヵ月で辞めた。 そんなとき、休日の図書館で偶然手にした資格本で、社会保険労務士の存在を知る。「勤める人はこんなに法律で守られている。これを勉強しておけば絶対に得や!」。別の制作会社からの内定を蹴って、すぐに労務管理の仕事ができる業務請負会社に入社した。 次のページヘ |
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