水泳も陸上も、コーチに見込まれてわき目も振らず没頭した。
26歳で転職した先でも上司に期待をかけられて
売上を伸ばすことだけに追い詰められていく。
9年通った水泳教室と高校の陸上部ではコーチの期待に応えたくて練習に没頭した。スポーツの指導者になりたくてフィットネスクラブに就職するが、自分なりの工夫や努力をほとんど誰にもわかってもらえず5年で退職する。27歳のとき、転職先で上司から目をかけてもらえることが嬉しくてダイエットプログラムの売上を伸ばすことにのめり込んだ。

中野 小百合さん 30歳
[元コナミスポーツ株式会社 コナミスポーツクラブ 伏見 フィットネスインストラクター]

ほぼ毎日練習に励んでいた陸上と水泳。スポーツの指導者になりたかった。

 幼いころ、九州男児の父はしつけに厳しく手をあげることもあった。母は妹に「お姉ちゃんを見習いなさい」とよく言った。毎日家族4人で食卓を囲み、休みにはキャンプに出かける。学校では授業中も率先して手を挙げ、何度も学級委員を務める優等生だった。
 4歳で習い始めた水泳。コーチにかわいがられてより楽しくなり、小3からは毎日通った。友人と遊べなくても学校でいじめられても、更に水泳に没頭すればあまり気にならない。しかし、日を空けず見学に来て、「もっと速く!」などと叱る父の言葉がプレッシャーに感じられる。大好きな水泳なのに、父に押しつけられているようにも感じた。
 小6で京都へ引っ越しても水泳を続けた。学校に打ち解けられなくても、スイミングスクールには熱心に指導をしてくれるコーチがいる。「将来は金メダルをとりたい」とまで思った。しかし、中学2年のときコーチが転勤になってしばらくすると、9年続けてきた水泳をアッサリ辞めてしまった。
 中3のとき、テレビで「スポーツプログラマー」という資格が報道されていた。「やらせる」のではなく、「やりたくなる」ように指導する職業。「私がなりたいのはこれだ!」と強く思った。
 高校では中学から始めた陸上部に入る。ここでも先生が期待してくれて、それに応えるために男子と同じ練習メニューでも進んで取り組んだ。休みは正月だけで、学校以外で友人と遊んだのは3年間で数回しかない。ひたすら練習に没頭し、1年の府大会では決勝まで進んだ。
 2年のとき「鉄欠乏性貧血」を患い、ジョギングですら息が上がるようになる。しかし、先輩や大会で会う他校の先生の励ましで、結果は出せなくても治療をしながら卒業まで陸上を続けた。


念願のフィットネスクラブに就職。のんびりした職場で何をすればいいかわからない。

 父の猛反対を押し切って、スポーツの指導者を育成する専門学校へ進学。ファミリーレストランのアルバイトで学費を捻出し、勉強にも励む。父とは口も利かず目も合わせないまま2年を過ごした。
 あるフィットネスクラブに就職し、顧客に合わせたマシンジムやプールのプログラムを指導する。エアロビクスインストラクターの社内資格も取得した。休み明けに前週の疲れが残ったままでも、上司が叱咤激励してくれることがうれしくて辛いとは思わなかった。
 1年後に奈良の老人ホーム内の店へ配属。少数の顧客とじっくり向き合えるので、以前から異動を希望していた。ところがスタッフ間には競争心がなく、上司は何も教えてくれない。業務に自分なりの工夫をしても評価してもらえない。趣味でテニスやゴルフをしたり、水商売のアルバイトまでしてみたが、ほかに没頭できるものも見つからなかった。
 アルバイトの指導では仕事の話だけをするのが社員の役割と思った。コミュニケーション不足から陰口をたたかれても、上司は見て見ぬふりをする。心を開ける同僚はたった1人。「いつも元気だね」と声をかけてくれる顧客の存在が救いだった。
 「私だけが辛い思いをしている」と思い込んだ。今までのように明確な目標を見つけさせてくれるような「構ってくれる人」がいない。「どうしたらいいの…」。ただ目の前の業務をこなすだけの毎日が過ぎていく。交際を始めていた今の夫と過ごす時間だけが心のよりどころだった。


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