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300人規模の中国工場で生産管理の仕事に力を注ぐ。
「成長しないヤツは後輩の邪魔だ」という上司からの叱責。 打開策を見つけられないままの3年間。 |
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中2のころバイクを整備するメカニックにあこがれて「手に職をつけたい」と工業高校へ。大学でファッションに興味をもち、バッグのメーカーに就職した。入社5カ月目から中国工場での生産管理の仕事に就き、バッグに対する意識や感覚の違いにとまどいながらも頑張り続けた。5年目のある日、「自分の現状を打破してない」と上司から詰め寄られた。 森 大樹さん 31歳 京都市在住 [株式会社シカタ(山科区)生産部 主任] |
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大学に入って興味をもったファッションの世界。迷わず就職先に選んだ。 石川県金沢市に生まれる。幼いころは1人で遊ぶのが苦手で、小学校時代は近所の友人と草野球をして遊びまわっていた。中2のころ、バイクを整備するメカニックにあこがれて「手に職をつけたい」と地元の工業高校に進学。中学時代から続けていたハンドボール部に入部する。部員のほとんどは地方大会の優勝経験者。実力の違いを感じながらも「負けたくない」という一心で練習に明け暮れ、2年のときからは副キャプテンとしてチームメイトを引っ張っていった。 大阪の私立大学に進学。入学するとすぐにファッションに興味をもち出す。就職活動では「ものを売ることを勉強したい」と、アパレル業界での営業職を希望し、シカタに内定を獲得する。シカタは、オリジナリティーのある商品を、顧客が求めるタイミングで適正価格にて供給し続ける、業界トップの実力を誇るバッグメーカーである。 しかし配属されたのは生産部。国内の加工屋さんに生産を依頼する仕事。希望との違いに不満を感じながらも、「この経験があればものを売ることに役立つはずだ」と業務に取り組んだ。 入社5カ月目のある日、突然会社から「300人規模の中国工場の生産管理の仕事をやってみないか」と言われる。同じ組織の歯車として働くなら大きな組織がいい。行って自分ためにならないはずはないと、中国工場行きを決意した。 日本人とのバッグに対する意識や労働感覚の違いに悪戦苦闘の毎日が続く。 中国に年3回、1カ月単位で出張する生活が本格的にスタートする。現地では、ホテルの一室で上司と2人の共同生活。食事は日本から持ち込んだカセットコンロやホットプレートで自炊した。 最初の3年間は、上司の下で生産工程の進行管理、品質確認、技術指導などの仕事を覚える日々が続く。日本の本社からは1週間単位で30〜40種類にも及ぶ新商品の仕様書が届き、早いものでは2〜3週間で小売店まで納品するものもある。納品が間に合わないときには1カ月休みなしで働いた。 中国人のバッグに対する意識の違いに苦労した。バッグは物を入れて落ちなければいい。スーパーのビニール袋で出社してくる人も大勢いた。そんな人たちになぜバッグのこの部分に補強がいるのか、縫い目の美しさが必要なのか、話すだけでは通じない。自分が実演して仕上げた商品を見せ、「こっちのほうがキレイでしょ」と、その違いを説明しない限り納得してはくれなかった。 4年目からは工場全体のマネジメントを1人で担当する。上司は時折様子を見にくるだけ。350人以上の工員たちに的確な指示を出していかなくてはならない。工員のミスはすべて自分の責任。プレッシャーで倒れそうになる。自然と本社から要求される納期と品質を守ることだけに意識が集中するようになった。「このままやっといて」。本社から届く大量の仕様書も、内容をよく確認もしないまま工場のラインに流すだけになる。「仕様書の通りできない」と工員から言われても、「求められる水準近くまでは達成しろ!」と頭ごなしに言い放った。 「作ってもらっている気持ちを忘れるな」。上司からは何度か注意を受けた。しかし、「自分のやり方は間違っていない」と、上司の言葉に耳を傾けることはしなかった。 次のページヘ |
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