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妻と2人で26歳のとき三和町に移住した。 |
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幼いころから自然が大好きだった。20歳のとき父が幹部ポストを投げ捨ててアルバイトに転じた姿が印象に残った。小さな造園会社に入るが不況で業界の将来性が小さいことを知って、自分の思うように働ける農業の道を選んだ。妻と26歳で三和町に移住するが、地域付き合いやミズナ栽培の難しさに戸惑い、目標の3年が経っても収益は上がらない。 三ア 要さん 32歳 天田郡三和町在住 [農業] |
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いつも自然と触れ合っていた。 両親は「金の心配はするな」と好きな道へ進ませてくれた。 京都市郊外で育つ。友人たちと山や川で遊び、夏休みは祖母宅へ泊まり込んで、一人で釣り三昧する自然好き。製薬会社の営業職の父は、ときに顧客付き合いの疲れを見せながらも、休日には山菜採りやスキーに連れ出しては一緒にはしゃいでくれた。 友人と2人で鳥取砂丘まで出かけたり、カブスカウトの野外活動は楽しい。しかし大勢の中では引っ込み思案で、サッカーは上達が感じられずに2年で辞めてしまい、ラジコンや壊れた時計などの分解を楽しんだ。 中学ではこぢんまりとした卓球部が楽しくて、「一番強くなりたい」と休日も仲間と練習する。親の家庭菜園を手伝って農業に興味を持ち、先生に頼んで校内に作ってもらった畑での野菜づくりもおもしろい。農業科に進学したかったが、両親に「高校までは教養をつけろ」と諭されてあきらめた。 高校の卓球部でも部員たちで決めた練習メニューに懸命に取り組み、少しずつ実力が上がる手応えを感じる。休日は友人を誘ってキャンプを楽しみ、テレビで見た森林の神秘にも魅かれて農学部だけを受験した。 一浪後に関西の私大へ入ると、サイクリング部で仲間たちと全国各地に旅をする。ファーストフード店のバイトでは、地道に技を磨いてリーダーになって、よく後輩たちを誘って遊びに繰り出した。 20歳のとき、父は会社での幹部ポストを投げ捨てて軽トラ運転手になった。両親は「金の心配はするな」と言ってくれて、長時間勤務で体もキツそうに見えるのに「管理職の重責に比べたら楽だ」と笑う父の姿が心に残った。 研究職に就ける国家公務員試験を受けてはみても「植物そのものに触りたい」と感じて、10社以上も受験した造園会社の中から兵庫の小さな一社に営業職として入社した。 造園会社を1年半で退職して就農を模索する。行政の支援で三和町を紹介される。 上司に頼んで現場に入れてもらい、昔気質の職人に怒鳴られながら勉強する。大雨の日でも、徹夜してでも顧客の望む庭に仕上げなければならないが、自然と接して働けることがうれしい。給料が安くても同僚たちをボウリングや釣りに誘って励ましていた。 しかし会社の方針と合わなくて、「経験を積んで造園業を起こそうか」と考えているうちに、営業業務の比重が高まって現場に携われなくなっていく。その不満から同業他社に飛び込んで求人を探してみても、業界自体の先行きの暗さを実感する。 会社を辞めてからの父の姿が頭をかすめて、「自由に一から作物を育てられる農業がしたい」と1年半で退職した。母は「止まっちゃダメ。やりたいことに向けて動き続けなさい」と激励してくれた。 失業保険に頼りながら就農の情報収集をする。半年後に母が見つけてくれた行政主催の農業体験。月に数回、京都の南部まで自費で通って、趣味の範囲で参加する人が多いなかでも、熱心に指導してくれる関係者の助けを借りながら黙々と実習に取り組むと、更に農業への思いが高まった。 そんな姿勢が関係者に伝わって、府からの委託で就農支援をする「農業会議」から、府と三和町が整えた新規就農者受入制度を紹介してもらえた。市内から車で2時間かかる中丹地方の人口4600人の町。農地整備された土地を10年間無償で貸してもらえて、月15万円の運転資金も2年間借りられる。 町の特産物のミズナ栽培を勧められた。研修農家が2年間面倒を見てくれて、好意で借家も探してもらえる。現地に足を運ぶたびに想いは強まっていって、誰にも相談せずに腹を決めた。念願だった動物病院で楽しそうに働き始めた彼女にプロポーズする。親の反対を押し切ってまで「付いていく」と言ってくれた。26歳の冬だった。 次のページヘ |
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