「大人になったらずっと仕事をしよう」と思った。
父の会社の倒産で家族のために就職するがすぐ退職。
家具作りを学ぶために26歳で専門学校に入学した。
好きな仕事に没頭する父と「仕事を続けたかった」と愚痴をこぼす母を見て、結婚に夢がもてずに「手に職をつけて、ずっと仕事をしていこう」と心に決める。父の会社の倒産で、家族との生活を優先して安定収入を得られる会社に就職するが、家具デザインの夢があきらめられない。10カ月で退職して、26歳で岐阜県高山の専門学校に入学する。

松本 和美さん 30歳 京都市在住
[家具デザイナー]

夢をあきらめて家庭に入ったことを後悔する母を見て「ずっと仕事をしていこう」と思った。

 北九州市で育つ。小学校時代から美術が得意で写生大会でも入選、草かごや木の実の首飾りを作るのが好きだった。仕事一筋で建築事務所経営の父と経理を手伝う母。結婚前コックをしていた母がよく「仕事を続ければよかった」と愚痴を漏らすのを見て、結婚に夢がもてなかった。「あなたは勉強して手に職をつけなさい」と勧められて、「好きなことをずっと仕事にしよう」と思った。
 スーツ姿でバリバリと仕事する通訳にあこがれる一方で、自分がデザインした家について楽しそうに話す父や、完成した家を前にうれしそうにする顧客を見るうちに、建築に興味をもつ。
 高校の受験勉強のストレスで5kgも太っても、母から「一度やろうと思ったら最後までやれ」と言われて、塾から帰宅後も夜中まで勉強に励んだ。
 好きな絵も活かせる建築デザインを学ぼうと決めて大阪の芸大に進学。だが現役時代に落ちた京都精華大学があきらめられない。少人数で教員と話しながら制作する環境で学びたい。20歳で再受験して入学した。
 授業についていくのに必死で、海外旅行中も課題のことが気になってデザインを描いていた。目的意識の高い人ばかりの同級生と課題や将来について何時間でも語り合ううち、特に家具デザインに興味をもつ。
 4年の春に父の会社が倒産した。両親と連絡も取れなくなって涙にくれたが、大学の奨学金や親戚からの金銭や精神面での援助で最後の1年を在籍させてもらえた。「人は1人では生きられないんだ」と思った。


生活のための安定収入を捨て家具デザインを学ぶために家具作りの専門学校に入る。

 やがて母と姉の3人で6畳一間で暮らし出すが、狭い部屋の息苦しさでケンカが絶えない。友人は自分のことだけを考えて就職先を決めていくのに、自分は家のことで就職活動どころでない。楽しげに夢を語る友人を横目に苦しい思いを1人で抱えた。課題も手につかず、教員に「できません」と泣きつくこともあった。
 「やりたいことよりも生活が大事」。周囲の援助なしで自分たちで生活できる安定収入にこだわり、目指す家具デザインとは離れた百貨店内装などの設計事務所に就職した。
 職場の先輩と話すなかで、製造工程を理解したうえでデザインをする重要性に気づく。しかし素材や構造を熟知して什器の図面を描きたくても、上司からは「それは職人のすること」と言われてしまう。
 テーマパークの図面修正も担当するが、大学で学んだことは活かせない。「自分がデザインした家具を作りたい」という思いが募る。何年も勤める先輩のことを尊敬はするが、やりたいことをあきらめてまで組織に収まりたくない。目先の生活は苦しくても、将来の自活のためには夢中になれることを仕事にしたくて、10カ月で退職した。
 家具デザインを仕事にするためにも、専門学校で家具作りを覚えたいと思った。学費を貯めるために1年間コンビニなどでアルバイトをするが、お金は生活費に消えていく。
 途方に暮れていると、授業料が不要で、実際の商品を作ることで家具職人を育てる学校が岐阜県高山市にあることを知る。「ここしかない」と思った。体が弱くなった母の面倒を姉や親戚に委ねることを申し訳ないとも思ったが、「やっと家具作りが学べる」と夢に近づける喜びをかみしめて高山へ移った。もう26歳だった。


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