あこがれの美容師ではなく衣裳にさわれる会社を選んだ。
予想もしない仕事のなかで素直に努力を続けると、
周りから次々と高い期待をかけられていった。
高校2年のとき父が大病を患い、美容専門学校への進学をあきらめて衣裳を扱えるワタベ衣裳店へ入社した。先輩や上司に助けを求めながら地道に努力を続けると、23歳にして店長になった。24歳で現場から本社への配属を言い渡されても、初めての商品仕入業務に精一杯取り組む。しだいに高くなる期待にも応えたくて激務にひたすら没頭した。
数井 美紀さん 31歳 亀岡市在住
[ワタベウェディング株式会社(下京区)店長]

高校で心を開ける友人に出会った。美容師ではなく衣裳にさわれる会社へ就職した。

 山あいの小さな町で育った。母は祖母との関係に苦労しながらも家族のために内職や家事をこなす。棟梁をしていた父の仕事場で、決まった友人と木くずでままごとなどの女の子遊びを楽しんでいた。
 あるとき友人と意見が食い違って、周りから孤立して本音を話さなくなる。小6で入った地域のバスケットボールチームではレギュラーにはなれなくても黙々と練習した。
 中学に入っても何げない一言が原因で仲間はずれにあう。目立たないようにしながらバレーボール部の活動に休まず取り組み、家で雑誌を眺めては美容師にあこがれた。
 ところが高校で出会った同級生と意気投合し、「話すことを怖がらなくてもいいんだ」と感じて、休み時間も放課後も何でも語り合った。休日は美容室でバイトをして、接客の楽しさと当時の「ワタベ衣裳店」の着物に初めて出会った。
 高2のとき父が脳梗塞で半身不随になり、入院と長期リハビリに専念した。兄は有名国立大学に進学したためか母は、「短大くらい行ったら?」と何度も言ってくれるが、「私は私だから」と思った。学費負担をかけないよう美容専門学校への進学よりも、着物やドレスを通して接客ができるワタベ衣裳店へ入社する。今ではブライダル業界で初めて東証・大証第一部上場を果たした企業である。


衣裳と関わりの少ない現場へ配属。3年後に念願が叶い、23歳にして店長になる。

 ところが結婚式場へ配属されてほとんど衣裳にさわれない。「辞めたい」と思ったが、「すぐには無理でも頑張ればいつかは希望を叶えてもらえるかも」と前向きに考え直した。
 顧客との打ち合わせや式場セッティングの体力仕事など、婚礼業務全般に携るなかで与えられた仕事を少しずつ覚えていく。その一方で、主に顧客の衣裳合わせができる「衣裳室」と呼ばれる店舗への異動願を毎年提出して、まれに衣裳室から応援要請があれば喜んで駆けつけて3年が過ぎようとしていた。
 「美容師を目指すには24歳が限界。やっぱり今のうちから勉強しようかなぁ」。通信講座の受講方法を調べ始めた矢先、ついにあるホテルの衣裳室への異動辞令が舞い込んだ。
 しかしたった1人の店舗。顧客の質問にすぐに答えられない。上司や先輩に電話で助けを求めたり、ホテルの美容師や婚礼相談窓口の人の手を借りていくと自然と知識が増えていった。
 他店や本社に連絡しながら顧客が納得してくれる衣裳を根気強く見つけ出す。式当日には予期しない出来事が起こることもある。ショールの納品漏れは急遽メーカーへ連絡して同じ生地を取りつけ、手配漏れのブーケの代替は花屋へ駆け込んで間に合わせる。しだいに顧客にも誠意が通じるようになっていく。あるときは見学に訪れたカップルが自分の接客態度を気に入って式場を決めてくれた。「ありがとう」と言われる喜びを実感した。
 23歳の若さで、あるホテルの衣裳室店長として、予想もしなかった2人の従業員の指導や売上も任されてしまう。上司の助言どおりにホテルの婚礼窓口の従業員と交流を深めて下見客を誘導してもらっても売上に繋がらない。販売目標を達成できなくて会議のたびに体を小さくする。親しい他店の店長たちと小さな工夫を重ねながら1年半を精一杯過ごした。


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