製造、販売、配送などの業務を経て、7年目でつかんだ
念願の商品企画職。次々に商品化されていくはずの
アイデアすら浮かばず、月日が過ぎていく。
兄にあこがれて中学から陸上の長距離走に没頭する。記録が伸びなくても故障に襲われても、決して辞めようとは思わなかった。商品企画がしたくておたべに入社して7年、30歳にしてようやくあこがれの商品開発の仕事を任されたが、思ったような成果が出せない。取り組み方の甘さを思い知らされ、1人悶々とするなか3年の月日が過ぎていった。

石田 房幸さん 32歳 精華町在住
株式会社おたべ(中京区) 京都営業部]

自分の頑張りを実感できる駅伝に夢中になる。故障に見舞われても走り続けた。

 ケーキ職人だった父。仕事中に足に障害を負って、大手企業の内勤仕事に転じたが、パートで家計を助ける母と力を合わせて庭つきの一軒家を構えた。父は庭づくりを手伝わせてくれたり、書道を教えてくれた。
 先生から「インテリ君」と呼ばれ、パソコンいじりやプラモ作り、図工が好きなおとなしい子。1つ上の兄は小学校でも目立った存在。中学では長距離走で全国6位になって朝礼で何度も表彰されていた。
 中学に入って好きな絵を描く一方で2年から陸上部へ。日曜も夏休みも午前中は自宅周辺を1人で黙々と走り続ける。先生の熱心な指導もあって駅伝の近畿大会にも出た。
 高等専門学校受験に失敗して進んだ普通高校でも陸上を続ける。指導者がおらず、自分たちで考える練習内容には甘さが目立ち、記録は伸びないままに3年の部活を終えた。ものづくりが好きで家の設計にも興味をもつが、「化学」を学ぼうと1浪の末に大学進学。両親は進路についてはいつもただ温かく見守ってくれた。
 大学1年の秋に大学駅伝中継を見てアスリート魂に再び火がつく。理論家の熱心なコーチの下で猛練習で関西学生駅伝大会では6位に入賞。箱根駅伝の選手だった兄に負けじと練習に励む矢先に足首を故障したが誰にも打ち明けなかった。4年になり同級生が引退していってもただ1人現役生活を続けた。
 学んできた化学を活かそうと、薬品会社や食品メーカーを回るなかで、株式会社おたべを受験して、最終面接で「商品企画をさせてください」と言った。おたべは八つ橋をはじめとする洋菓子・和菓子の有力メーカーである。


商品企画希望で入社したが配属される部門は、製造、販売、配送、営業…。

 若狭工場に配属されて製造ラインについて、夢中に仕事に取り組んだ。交際が始まっていた今の妻に会いに週末になると京都に帰っていた。
 1年後に京都に戻り、直営店での店長業務のほか、直営カフェでウエイターも経験する。アルバイトが急に休んだり、トラブルが起これば休日でも業務に駆けつける。
 翌年は駅販売店などへの商品配送業務。「どんな仕事でもうまくやってくれる」という周囲からの評価の裏側で「俺はこのままどうなってしまうんやろう?」と彼女にだけは不安を漏らした。それでも「若いうちに何でも経験した方がいい」と気持ちを切り替えて業務に集中した。
 27歳で営業開発部へ異動して、顧客向けのホームページ開設を中心になって推進する。Eコマースについて調べたり、サイトのコンセプトを考えたりするのが楽しい。また事業撤退で唯一残った直営店舗で店長の仕事も兼務する。アイスモナカ、プチカステラなどの店舗限定商品を販売して商品開発を楽しんだが、店を黒字にするには至らない。次の企画を練っていた矢先、役員会で閉店が決定した。「提案書を出すのがもう少し早かったら…」と後悔した。
 翌年から2年間は京都・滋賀や九州でおたべ商品を扱ってくれる新規店の開拓。まじめな姿勢が評価を得て営業成績も順調だったが、商品開発への夢は捨て切れない。ついに初めての異動願を出して、マーケティング部で念願の仕事に就いた。同じ年に結婚、実家に近い精華町に一戸建てを買った。30歳になっていた。


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