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配属された新規事業の部署。個人業績をあげ続け、
後輩指導にも力を注いだが、事業は赤字が続く。 経営陣からのプレッシャーの日々に信念が揺らぐ。 |
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中・高時代はクラブ活動に熱中し、真剣なあまり自分の意見を率直にぶつけてケンカになることも多かった。就職後は、顧客に感謝される喜びと仲間と励ましあう充実感をやりがいに、仕事に没頭した。27歳のとき、介護保険制度の導入とともに仕事に忙殺される。現場の頑張りとは裏腹に6年間も黒字化されない事業に経営陣もしびれを切らし始めた。 五十嵐 真吾さん 31歳 京都市在住 [株式会社三笑堂(南区) 在宅事業部 課長] |
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高校ではクラブ活動に熱中。「自分が成長できる仕事」をしたくて三笑堂を選んだ。 中学のときはテニス部に入った。「やるからには一生懸命取り組もう」と考えたが、部員たちは遊び半分に練習メニューをこなしているだけ。もっと熱心に練習したいという自分の思いを一方的に押しつけて、他の部員とケンカになることも多かった。 高校ではハンドボールに夢中になる。顧問の先生の厳しい指導にも食らいつき、京都府でベスト8まで勝ち進む。真剣だからこそ練習方法について友人とのケンカも絶えない。それでも本音をぶつけ合った仲間同士ではわだかまりも残らず、帰り道の買い食いを一緒に楽しんでいた。 大学4年のとき、就職するにあたって「自分が成長できる仕事をしたい」と思った。地元の企業を中心に受験して内定をもらった4社の中から、三笑堂へ営業職として入社した。従業員400人、着実な成長を続ける医療機器・介護用品の地域NO.1商社である。 新規事業として立ち上げられてまだ1年半の在宅事業部に配属。在宅用の介護用具を福祉事務所や病院に販売する。先輩4人、上司1人というたった6人の部署で体制も確立されていなかった。 顧客から喜ばれることと仲間と励ましあうことでやりがいを感じ始める。 入社1年目は、上司から伝票など書類の書き方や些細なミスを「アホ!」「ボケ!」と毎日のように叱られた。業務は先輩の同行か雑用ばかり。「僕にも担当を持たせてください!」。何度も不満を上司にぶつけたが跳ね返される。「辞めたい」と何度も思った。仕事後の酒の席で根気強くアドバイスしてくれる先輩の存在だけがその思いを留めてくれた。 2年目からは京都市郊外の担当地区を与えられた。ノルマを達成するために夢中になって新規開拓をする。朝10時から夜7時まで車を走らせ、思い当たるところは片っぱしから訪問した。走行距離は毎日100キロを超えていた。 世間話を1日ひとつ用意しては得意先へ顔を出して、担当者の緊張をほぐす。交流が深まるとともに仕事の依頼は徐々に増え、1年後には得意先が1人では抱えきれないほどふくれあがった。 発注された商品をエンドユーザーであるお年寄りの家に設置すると「ありがとう」と感謝された。「物を売ってこんなに喜んでもらえるなんて。この仕事をやっててよかった!」。心底そう思った。 お客様に喜ばれる充実感を知ってからというもの、営業が楽しくて仕方ない。3年、4年と月日が経つごとに後輩も増えて事業部は10人になっていた。後輩たちに、「お客様の立場になって要望にできる限りお応えするんだ」などと、自分が経験を通して感じたことを伝えていく。自分が先輩にしてもらってきたように、営業車での移動中や仕事が終わった後などに、できる限りの時間を作って相談に乗った。同じことに向かって進む仲間同士で励まし合うごとに団結力は強くなっていく。 次のページヘ |
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