教師のやりがいを実感しながら、出産を機に始めた保育所のパート。
資格を取得しても補佐的な仕事しかできない限界を感じて、
育児と生きがいの間で苦しむ。

家族のために働く母にあまり構ってもらえず、奔放に過ごすといじめにあって自信を失った。音楽を通して少しずつ自分を取り戻して、中学教師にやりがいを見出したが、体調を崩して学校を辞めて結婚を機に京都で暮らし始める。保育士パートを始めた1年後に身ごもって、「子どもにとって素敵な大人になりたい」と痛感して、仕事との両立に苦悩する。

廣瀬 道代さん 32歳 八幡市在住
[元保育士パート]

母に構ってもらえず、奔放に過ごすといじめにあった。好きなピアノに没頭した。

 昭和10年代生まれの両親。家で明け方まで会社の仕事をする父と家計のために働く母。悩みごとを話してもあまり相手になってもらえず、兄姉も10歳以上離れていて、何でも自分で決めて男子たちとも活発に遊び、たった一人の家では大好きなピアノに没頭した。
 小3で北海道から兵庫に転校してもすぐに友人たちを仕切って、親や先生に構って欲しくて問題行動をする。成績がよくて足も速くて絵も上手。自信過剰になっていじめもした。小6の時に逆にいじめにあって、何時間もかけて自分の過去を振り返ると、「私なんて何もできない」と思った。学校ではおとなしい友人とだけ過ごして、家ではピアノを黙々と弾いていた。
 中学でも目立つことを避けて、主人公が苦難を克服していく小説を読みふけり、日記を書き続けた。目をかけてくれるピアノの先生のボランティア活動を手伝って、少しだけ前向きになって生徒会にも立候補するが、音楽科のある県立高校受験では、自分のピアノの実力の低さを思い知った。
 高校進学を機に「私は生まれ変わるんだ!」と自ら務めた学級委員長の役割を、級友や先生の協力を得て楽しんだ。ブラスバンド部で親友もできて夢や悩みを語り明かすが、セクションリーダーは自信がなくて途中で辞めてしまう。奔放さも取り戻すと目に余る行動に干渉する父には反発して、「恋人はいるの?」とも聞いてくれない母には寂しい思いをした。
 音楽を極めるより人の指導に興味が湧いて、長崎の大学の教育学部に進学する。70名の音楽科の科長を務める一方で、バイトや遊び、部活に明け暮れた。バーのピアノ演奏のバイトでは、中年客がハメを外す姿を見て働く男性の大変さを少し感じた。
 しかし、教育実習で教師の責任の重さにまた自信を持てなくなり、大学院進学や留学を考えるが、父の反対にあって母の助言で仕方なく受けた教員試験に合格してしまった。


偶然に就いた中学の教職。やりがいを実感しながらも仕事を離れて、京都で結婚した。

 両親が移り住んだ福岡の中学で採用されて、早朝から深夜までできる限りの努力をした。ブラスバンド部の顧問を務めて、外部の指導者を慕う生徒たちからの反発にあっても、めげずに生徒たちが自主的に活動できるように指導をする。2年目の担任業務では、見込んだ生徒の自宅まで電話して委員になるよう頼んでクラスを運営すると、しだいに「気迫がある組ね」と褒められるようになって自信が膨んでいった。
 そんな教員としてのやる気も高まっていたときに、「俺は常に成長していたいんだ」と語る今の夫に出会う。彼の住む京都でのデート中に突然体を壊して、京都で1ヵ月の入院を余儀なくされた。「迷惑をかけたんだからその分頑張ろう」と駆け戻った学校で暗に退職を促されて、生徒たちに顔も見せることもなく辞めざるを得なかった。
 信頼を寄せてくれていた生徒たちから責められる夢に毎日うなされた。「私って一体何なんだ…」。そんな後悔に苛まれて自暴自棄になっていたときに、家業を継ぐ決意をした彼からプロポーズされて、京都で新しい生活をしようと決めた。24歳だった。
 猛反対する父の目を盗んで福岡を発つ日、「お父さんには私が話しておくから頑張りなさい」と初めて味方をしてくれた母と涙ながらに抱き合った。「何があっても彼と二人で乗り越えていこう」と強く決意した。
 しかし、新しい仕事をしてみようと、低学年向け英語塾講師や化粧品営業などにも挑戦するがやりがいは感じない。義母の紹介で保育士補助のパートを始めて、ピアノに合わせて楽しそうに歌って踊る子どもを見て、「これなら音楽が活かせる!」と夢中になって業務に取り組んだ。そんななかで子どもを身ごもって1年で退職をした。


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