|
自分の居場所を探して足を踏み入れた陶芸の世界。
気づけばふたたび孤独の世界に陥った。 壊れそうな自分を感じて、受話器を手にとった。 |
|
![]() |
転校後の中学・高校時代、なかなか友人が作れず1人の殻に閉じこもった。大学で気の置けない友人もできたが、就職先でワンマン経営者に出会い、自分の無力さを感じて退職する。自分を表現できる「ものづくり」がしたくて、貯金もないのに思い切って伝統工芸の専門学校へ25歳で入学。ところが、陶芸の世界で仕事を始めるとまた話し相手が減っていった。 はやたようこさん 33歳 京都市在住 [陶芸職人] |
|
都会になじめず、1人の殻に閉じこもるようになった。大学で試みた「自己改革」。 自然に恵まれた香川県で中学1年までを過ごした。いつも気心の知れた友人2〜3人と虫取りや魚釣りをして遊んだ。大阪市内の中学へ転校してからは、都会になじめず友人がなかなかできない。転校前から始めたバスケットボール部でも疎外感を感じた。両親から「言わなくても何でもできる子だ」という暗黙のプレッシャーをかけられている気がして、自分の苦しみは1人で抱えこんだ。 「別に結婚なんかしなくてもいいよ」。パートを始めたばかりで苦労している母に言われた。結婚へのあこがれもなくなり、将来の夢もわからない自分。友人づき合いも苦手で、1人でぼんやり考えてばかりいた。 高校は、両親の勧めで進学校に進んだ。しかし、学校になじもうとはせず、帰宅すると歴史小説などの本を読んだり、ひたすら眠ることで毎日現実逃避をする。尾崎豊の「17歳の地図」や「卒業」をよく聞いていた。「仕事をすれば自分の居場所ができるかも」と考え、卒業後は就職したいと思ったが、やりたいことがわからない。それを見つけたくて、進学を決意。親は学資保険で大学の資金を用意してくれていた。 今までの自分を知る人の少ない環境の中で「自己改革をしよう」と決めた。ワンダーフォーゲル部に入って、全国各地を旅した。しだいに部内に気の許せる友人もできてくる。鹿児島の離島で、すたれていく方言を次世代に残そうという人々の活動を通して、「文化」や「言葉」に初めてふれた。 就職活動では多くの人と接する必要のない、ものづくりに関わる仕事をしたいと思った。京都にある学術書専門の30人規模の出版社に編集者として就職して1人暮らしを始めた。 経営者の独断がすべての職場。退職して専門学校へ。「ものづくり」に夢中になる。 小さな組織のなかで、3年も勤めれば辞めていく先輩たち。職場の人や出入りの業者さんたちと地道に練り上げていった企画は、何度も確認をとったはずの経営者に土壇場で方針変更された。納期もとっくに過ぎている。怒りのあまりに涙が止まらない。少しでも計画的に仕事が進んでいくように意見書を何度も出したが、まったく取り合ってもらえない。 同情することしかできない同僚や上司。執筆者である大学の先生方や業者さんと、経営者との板ばさみ。ものづくりとはほど遠いデスクワーク。担当していた仕事にキリがつくと3年半で迷わず退職した。 次は何の仕事をしようか考えながら過ごしていたある日、偶然にラジオから園部市の伝統工芸の専門学校のコマーシャルが流れてきた。以前から器を見るのが好きで、萩や信楽など焼き物で有名な地域へ出かけて陶芸体験をしたことがあった。「6年暮らした香川のように自然豊かな京都で今度こそものづくりをしよう」。プロの職人を養成しようという方針に魅かれてすぐに問い合わせ、貯金もないのに思い切って入学を決めた。 ほとんど毎日アルバイトをして、年間100万の学費を捻出する。2年目には学業に専念するために、大阪の実家から2時間かけて通学した。 陶芸や京都の文化などを学び、新たな発見や技術の上達を感じられる毎日が楽しい。「これを仕事にしたい」という思いが強くなっていく。「ここがきっと私の居場所になる」と思った。時間を見つけてはいろんな作家を訪ねて積極的に話を聞いた。 次のページヘ |
|
ページ: 1 | 2
|