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予想以上にハードだったあこがれの映画業界。
徒弟制度のような理不尽な人間関係、プライベートのない生活のなかで、 いい仕事をもらうたびに周囲からねたまれた。 |
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社会に出るまではほとんど毎日気の合う仲間と共に過ごした。幼いころから好きだった映画の監督になりたくて映像の専門学校へ進学して3カ月後、京都にある撮影所で働き始める。休日もなく過酷な労働時間でも、映画の仕事に関われることが楽しい。莫大な予算の特撮映画の助監督に抜擢され、疲労と慣れない仕事によるストレスで胃まで痛み出した。 服部 大二さん 31歳 京都市在住 [映画監督・監督助手] |
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いつも気の合う仲間と一緒に過ごした。その一方で、とにかく映画が好きだった。 いつも大勢の友人に囲まれていた。小学4年で島根の田舎へ転校してもすぐに周囲に打ち解け、野球やサッカーに熱中する。テレビで歌番組やお笑いバラエティー、格闘技や映画を見ることも好きで、部屋にはアイドルや「あしたのジョー」のポスターが貼られていた。 教育熱心だった母と対照的に、工場でまじめに働く寡黙な父は自分ができなかったことを託すかのようによく「好きなようにしろ。その代わり責任もってやるんだぞ」と言った。 中学では「ビーバップハイスクール」にあこがれて友人と「ボンタン」「ソリコミ」「中ラン」で身を固め、ときには友人たちと一緒に他校生とケンカもした。母の勧めで通った塾や柔道部の練習は適当にこなし、放課後も休日もいつも友人たちと過ごす。「将来はコメディアンか俳優になりたい」と考えていた。 高校でも柔道部の傍ら、野球部の友人のために応援団まで結成し、誰かがケンカに巻き込まれたと聞けばすぐに駆けつけた。「こいつらがいれば何でもできる」。そんな気がした。 その一方では工事現場のバイト代でビデオデッキを購入し、月に7〜8作品は鑑賞する。映画や演劇に詳しい先生の自宅まで押しかけて話を聞いた。2年のときに見た「ゴッドファーザー」。「俳優よりも、監督としてこんな作品を作りたい!」。そんな衝動に駆られてすぐに映画会社や専門学校を片っぱしから調べた。 過酷な現場。しかし、映画業界で働けることがうれしくてわき目も振らず没頭した。 大阪の映像関係の専門学校に入学して3カ月後、現場実習として京都にある撮影所で働き始めた。助監督は通常、1つの作品につきチーフ、セカンド、サードの3人。その更に下の立場で、大道具などを動かす肉体労働や役者の小間使いなどに追い回される。休日も、一服する暇もなく、現場で寝泊まりして2〜3時間の睡眠を何とか確保した。映画に関われることがただうれしくて卒業後も何の疑いもなく働き続けた。 「こんな人たちの中でやっていけるか!」。辞めたい気持ちにもしょっちゅう襲われた。1つの作品で10〜70代の40人前後が行き交う現場。世間の常識が通用しない一匹狼たちの集まり。「どけ!」と蹴り飛ばされ、人を人とも思わない言葉で怒鳴られる。あるときは懸命に作った小道具を監督が陰で笑いのネタにしているのを見かけて、「コイツを殴って辞めてやる!」と掴みかかった。 作品ごとの報酬なので収入は常に不安定。それでも仕事を見つけては意欲的に取り組み、わからないことは何でも聞いて吸収する。月1回程度しかない休日にも最新映画やビデオをチェックして知識を蓄えた。 撮影現場で働ける充実感だけでなく、作品のよしあしが判断できるようになったり、自分の撮りたいイメージがわいてくる喜びも感じられる。仕事が少しだけ早く片付くたびに、同じ志をもつスタッフ仲間と酒を片手に映画について語り明かした。 しかし、4〜5年も経って仕事が見えてくると京都以外にも興味がわき始めた。「給料がいい」と東京や大阪の撮影所に移っていく人たち。東京から関係者が来るたびに「仕事ないですかね?」と声をかけた。 次のページヘ |
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