|
技術だけでは父を越えられない。しかし理屈だけでは
通用しない現場の中で、自分の無力さを痛感した。 26歳になって覚悟を決めて再び大学に足を踏み入れた。 |
|
![]() |
自ら立ち上げた金属加工工場で働く父を見て技師になりたいと思った。工業大学に進んで大手金属加工メーカーに就職。現場スタッフにもまれながらも成果を上げるが、転職活動で自分の甘さを痛感する。入社4年目に自分が目指す働き方を確信して、26歳で安定した生活を捨てて大学に編入。29歳で京都の会社を見つけた。 江川 豊和さん 31歳 精華町在住 [株式会社最上インクス(右京区)技術開発グループ] |
|
小さな工場を経営する父を乗り越えたい。大手金属加工メーカーに就職した。 東京都足立区。大手機械メーカーから独立して金属加工工場を立ち上げた父は、自宅横の作業場で毎朝6時から夜遅くまで、休日も昼過ぎまで働いていた。街中で自分が手がけたものを見つけると、うれしそうに「お父さんが作ったんだ」と話した。ほかに働く大人を知らず、将来は後を継いで技師になるんだと思った。 小学生時代は道具欲しさに習字や珠算の習い事、少年野球チームにも自ら通う。中学では初段を取りたくて剣道に打ち込み、家でモーターやリールの分解をしたり技術の時間のものづくりが好きだったが、父に無理やり仕事を手伝わされるのは嫌だった。本格的に始めたバス釣りでは1匹も釣れないのが悔しくて毎週のように遠出する。 でしゃばりで目立ちたがり屋。中3のとき学級委員長に立候補するが投票してくれたのはたった1人。「どうして? みんなの役に立とうと思ったのに」と不満だった。 「勉強していい大学に行け」と言う親。父は成績が上がってもほめてくれず、下がったときには怒られた。それでも授業では一番前の席に座って、塾にも通って家でも毎日夜12時近くまで勉強をして私大付属高校の工業科に合格。父とは母を通じてしか話さないようになっていた。技では勝てない、頭で父を越えてやる…。 ところが入学早々に「自分ならもっとレベルの高い高校に行けたはずだ」と後悔する。「青春18きっぷ」で東京から琵琶湖までバス釣り遠征したり、バイクを改造しては乗り回した。エスカレーター式に大学に進学して、2回生からはバイトを始めて友人との交流を深める。仲間内では口だけを出す存在だったが誰からも文句は言われない。ものづくりの仕事がしたいと技術開発・設計を希望して大手金属加工メーカーに入社した。 理屈では動かない現場。俺はこのままでいいのか? 評価されない3年の実績。 鎌倉にある大船工場に配属されて100人余りのラインの管理担当に。「俺がこの工場をよくしてやる」と1人意気込んだ。しかし口から出るのは理屈ばかりで現場のベテラン社員からは総スカンを食らった。予定外の仕事をお願いすると「忙しいからできん」とむげに断られる。「こんなこともできないのか」と馬鹿にされているようで、寮に帰って泣いた。 上の立場から指図している自分に気づいて、「僕にもやらせてください」と頭を下げて一緒に油まみれになって働き始める。人手が足らない部署を見つけては手伝っていくと少しずつみんなから信頼され、飲みにも誘われるようになっていった。作業効率を上げるための治具作りを頼まれて、夢中で設計図を方眼紙に何十枚も描いた。 3年目からは親会社から来た上司の下で大幅なコストダウンのための人員削減やライン配置の変更を敢行する。家族を抱えてリストラされる人を目の当たりにして心を痛めながらも、並行して在庫や外注費などの見直しで3億円近くの合理化効果を上げた。しかし残った現場スタッフはもう自分に反発しなくなっていた。 「人を切ったのだから自分のクビも切る覚悟をしよう…」。そう思ったときにふと我に返った。俺は大きな組織で上を目指したいのか? 「やっぱり開発や設計の仕事がしたい…」。ところが人材紹介会社を通じて面接を受けても、自信をもっていた3年間の仕事の手法や成果はまったく評価してもらえなかった。 次のページヘ |
|
ページ: 1 | 2
|