学生が自分たちで意思決定していく姿に衝撃を受け、
大学生協活動へ。阪神大震災などをキッカケに24歳で
設立したNPO法人を、運営4年目に小休止させた。
大学生協の活動と病院の夜間当直のバイトで、地域社会の抱えるリアルな問題に直面し、阪神大震災ではボランティア活動をする同世代の若者たちの姿を目の当たりにした。大学院を卒業すると同時に、22歳で立ち上げた「きょうと学生ボランティアセンター」をNPO法人化。事業主として学生と地域のボランティア団体との橋渡し役に全力を注ぐが、運営4年目に活動を小休止させた。

赤澤 清孝さん 29歳 京都市在住
[NPO法人きょうとNPOセンター(下京区)事務局次長]

親の期待に応えたい。目標ももてないまま、流されるように大学へ進学した。

 母方の祖父が経営していた自宅近くの印刷工場で友人や兄弟、同じ年代の親戚たちと遊んだ。母たちが自分たちで考えて商売を生み出している姿を見て、大手企業に勤める物静かな父を見ながらも、自分も将来は「商売人になりたいな」と思った。
 いつも「あなたが一番年上なのよ」と言い聞かされ、親の期待に応えることが長男なんだと思い込む。学級委員長をこなして体育も得意な優等生。音楽や書道、水泳などの習い事をかけもち、進学塾にも通って私立中学を受験するが不合格。卒業文集に「将来の夢」は書けなかった。
 中学に進むとバレーボール部の練習に明け暮れ、受験に向けて週3日の塾通いと、自宅での1日5〜6時間の勉強で大阪の進学校に合格。親の期待に応えられたようでホッとする。
 高校のバレーボール部は年に10日の休みしかない厳しいクラブ。辞めたい気持ちはあってもほかにしたいことは思いつかない。顧問から自分で考えて一つひとつのプレーをするように求められても、「このプレーに対して先生はどう考えるんだ?」と先生の中に答えを探していた。
 試験のたびに成績順位が貼り出され、誰もが大学へ行くために勉強をしていて、それ以外の選択肢は思いつきもしない。将来の目標もないまま京都の有名私大へ進学した。


講義では知ることのない生の社会問題に直面。親が理解できないNPOの世界へ。

 大学に入ってすぐに所属した大学生協の学生委員会の先輩たちは、学生に対するさまざまなサービスを自分たちで決めて次々と実行に移していた。とてつもなく大人に見えた。自分なりの意見を言ったつもりでも「本心から発言しているとは思えないな」と鋭く指摘された。
 同時に1回生から始めた病院の夜間当直のアルバイトでも衝撃を受ける。病気でもないのに不安から毎日電話をしてくるお年寄り、生活保護世帯の暮らし、ぜんそくの子どものケア…。講義で経済や福祉問題を学んでいても、地域が抱える生々しい実態などなにも知らない。
 2回生のときに起きた阪神大震災では、ボランティアとは縁遠いと思っていた友人をはじめ、信じられない数の学生が神戸に赴いた。「学生が社会に無関心な訳じゃない! キッカケがあれば動き出すんだ」と思った。
 4回生になって就職活動に取り組む友人たち。「俺はまだやりたい仕事に出会ってない」と思っていたある日、福祉団体が学生ボランティアを探していることを耳にした。「学生と地域活動との橋渡しをする場所を作ろう」と、「きょうと学生ボランティアセンター」を数名の仲間と開設する。
 「大学院で勉強させてください」。私学に進んだ2人の息子の学費作りのために黙々と働く父と、パート勤めを始めていた母に頭を下げた。「仕送りはいりません」。20代は「学び」にしようと思った。
 2年間でボランティア参加学生数は延べ500人を超え、マスコミからも注目された。この活動に継続的に取り組むために法人化して常勤職員として携わりたい。友人が就職した会社を辞めていくのを見て組織で働くことの難しさを感じていた。周りの人からの評価ばかり気にしていた高校までの自分には戻りたくない。
 「今しかできないことで生計を立てたい」とNPO法人の代表に就任した。安定した会社に入社することを望んでいた親は、「そんなのは就職とは言わない!」と理解を示してはくれなかった。


次のページヘ
ページ: 1 | 2
(c) 2003 WOOCA. All rights reserved.