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染色の家業を継げずに見失った目標を花の世界に見つけて |
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友禅染業を営む父と力を合わせて働く母。家業を継ぐのは難しくなって、新卒で入った百貨店で働いても既成服の販売に充実感が得られなくなる。友人と一緒に始めた生け花に心を奪われて4年で退職。花に触れる仕事の求人を自ら開拓して体力的に辛い作業もこなしていった。突然の親友の死で「今を夢中に生きていこう」と頑張り抜いて28歳を迎えた。 山本 綾子さん 31歳 株式会社ちきりやガーデン(山科区)[生花部主任 店長] |
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両親が営む友禅染業を継ぎたかった。高校で人見知りを克服して百貨店に就職。 幼少期は多くの仲間の中心にいて球技や探検などをして遊び回っていた。美術が好きで、友禅染業を営む父と染めを手伝う母の横で漫画を描いたり色塗りもする。習字の墨を無心にすり続けたり、技の上達が楽しくて一人で体操を習う子どもだった。 父の会社の従業員も加わるにぎやかな夕食では、大人たちはみんな楽しげに見えて早く社会人になりたかった。父と仲がよくて手に職も持って父を支える母にもあこがれて、将来は家業を継ごうと心に決めていた。 小4のときに転校すると、新しい友人たちの輪に溶け込もうと気を使い出す。中学でも、限られた友人とファミコンなどをしておとなしく過ごして、好きだった陸上ではなく友人に誘われて入ったハンドボール部は、3年間補欠のままでも辞めなかった。 子どもやお年寄りと接するのが好きで保育士や介護士にあこがれたり、美容師にも興味は持つ一方で、百人一首を手づくりしたり、父をまねて染料を混ぜては色づくりを楽しんでいた。 高校に入るとようやく心を開ける友人が大勢できる。休み時間や放課後はみんなで騒いで、いつも「イジられ役」でも話題の中心にいられて心地いい。社会経験を積んでから家業を継ごうと大学進学もまったく考えずに、洋服の販売に携われる大手百貨店に就職を決める。しかし、家業の経営は年々厳しくなり、十数人もいた従業員は一人に減っていた。 家業への想いを初めて父に打ち明けると、「会社はいつまで続けられるかどうかわからないから…」と言われた。友禅染の道で食べていく厳しさを感じて目標を見失った。 没頭できるもの見つけて猛然と動き出す。百貨店を退職して、自ら求人を開拓した。 百貨店では催事場に配属される。同期が次々と別の売場に移っていくなかでも、アパレル会社から派遣される年配のマネキン同士の激しい客取り競争の間に入り、一人ひとりの話に耳を傾けていくと頼りにされていった。 婦人服売場に移ってからは、同期たちと励まし合いながら顧客からのクレームも勉強だと思って接客技術を磨き、持ち前の色彩センスで薦めた高価なコートが何着も売れたときはうれしかった。閉店後や休日には同期の友人や彼と飲みや買い物などに出かけて2年間を楽しく過ごした。 しかし仕事に慣れ始めると、でき上がった製品を売ることに物足りなさを感じ出す。「私たちって何もないよね…」。ある休日の昼下がりに喫茶店で友人とこぼした。「習い事でもしようか」と生け花教室に一緒に通い始めた。 同じ花材でも人によってまったく仕上がりが違うものづくりにハマッた。色やバランスを考えて花に向かっていると声をかけられても気づかない。初めてここまで没頭できるものに出会って、友人が辞めても教室に通い続けるうちに、花に触れる仕事がしたい想いが膨らんだ。ある日、上司の顔を見た途端に退職を相談していた。驚きつつも応援してくれた仲間や両親。マネキンからも惜しまれつつ4年いた会社を辞めた。 しかし花屋の求人は見つからない。父の会社でアルバイトをしながら、街で花屋を見つけては飛び込んで、採用予定を聞くがよい返事はもらえない。「新しくできる商業施設なら望みがあるかも」と思い立って、建設中のゼスト御池などに片っ端から花屋の入店予定を問い合わせると、オープン前のジェイアール京都伊勢丹から、ちきりやガーデンを教えてもらった。 本社へ電話すると面接の機会を与えてもらえて、未経験ながらも百貨店での接客経験を買われて採用された。店鋪がいくつもあって造園事業なども手がける会社だと初めて知るが、役員などとも気軽に話せる社風に魅かれて入社を決めた。23歳だった。 次のページヘ |
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